@kyojitsurekishi#江~姫たちの戦国~」では関ヶ原の戦いが十数秒のナレーションで終わったらしいがこれは特に驚くことではない。むしろ秀吉と茶々の痴話喧嘩らしきもので話数が無駄に使われ、江の晩年が描かれずに終わったことの方が問題だろう。
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『江~姫たちの戦国~』は家光が将軍になった直後、馬に乗って失踪する江の場面で終わった。

江は秀忠と結婚して30年と言っていたが1595年に結婚したとすると30年後は1625年。その翌年は江の没年である。
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この後日談を描いた作品がある。

関ヶ原以降の浅井三姉妹と秀忠、家光に関しては『葵 徳川三代』の方が参考になるだろう。
#葵徳川三代
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『葵 徳川三代』
関ヶ原以降はこの作品のほうが詳しい。「姫たちの戦国」を描いた『江』は秀吉の死去で事実上、話は終わっていたようなものである。
『葵』では家光の将軍就任、さらに秀忠と家光の上洛、和(まさ)との再会、江戸での江の死去など、詳しく描かれている。
水戸黄門こと光圀の父・頼房は家光と年齢がそれほど離れておらず、頼房は家康の息子でありながら孫ほど年齢が離れていた。從って光圀は家康の孫でありながら、家康と年齢が80年ほど離れていて、家康のひ孫に近い。光圀が生まれたときに秀忠は存命だったが家康は故人だったことがわかる。

姫将軍大あばれ
大坂夏の陣で豊臣秀頼と側室の間の子供2名のうち、少年は処刑されたが、姫は生かされた。この姫がのちに、尼となって、柳生十兵衛らとともに「世直し旅」をするようになった。

『長七郎江戸日記』
家光の弟の国松こと徳川忠長に忘れ形見がいて、それが松平長七郎。

『江戸を斬る 梓右近隠密帳』
『江』ではのちの保科正之が少年時代に江と対面し、竹千代、国松という二人の兄を仲良く遊ぶ場面があった。『葵』では保科正之が秀忠、家光と出会ったのは家光が成人になってからであった。
実は保科正之は双子で生まれ、その弟が梓右近。『江戸を斬る』第1部最終回では由比正雪が切腹。よって家光死去の年まで描かれた。『江戸を斬る』第2部以降は200年近く時代が進んで、天保末期、1840年代に移り、遠山金四郎が主人公となっている。

『服部半蔵 影の軍団』
保科正之が影の軍団をサポートしていたらしい。

影の軍団III
家光の正室だった鷹司孝子がその後どうなったかを描いた作品。
1657年の明暦の大火の折に江戸城から抜け出して尼となり、多羅尾半蔵と組んでいた模様。

2004年版『大奥~第一章~』
春日局、お江与、家光の物語。

『将軍家光忍び旅』
1632年に秀忠が没して2年後、1634年に家光が上洛したときの様子を描いた。


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2011年12/9 12/9前後