『新巨人の星』によると、宮崎市青島の青島グランドホテルには1977年当時、星飛雄馬も宿泊していた。

 

 

文庫第4巻の「青嵐の章」にある。飛雄馬は新聞で花形のヤクルト入りを知った。
報知新聞で「天才児は健在!!」の見出し。
「紅白戦ホームラン」とあるが、掲載された写真の打撃では三塁打だった。

 

 

 

この1977年、巨人はクラウンライター・ライオンズと対戦し、星も登板。
前年秋のノーコンを克服していた。

 

 

 

南海ホークスの野村克也監督は花形にささやき作戦を仕掛けるが通用せず。
野村監督の悪い予感野は的中止、村監督の南海在籍はこの年までであった。

 

 

 

ライオンズが1977年秋にドラフトで江川卓を指名したが、江川は拒否して渡米。
開けて1978年正月、星飛雄馬は星一徹、伴宙太とともにハワイに行き、大リーグボール右1号の開發のために投球練習。そこで星は現地の人から江川に間違えられた。
この1978年に左門豊作の所属する大洋ホエールズが川崎から横浜に移動し、横浜大洋ホエールズとなった。

 

 

 

江川学院の中(あたる)が山田太郎を5打席連続敬遠したのはこの1978年だったか。

 

 

 

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2011年11/11 11月