1690年┬┬1969年_第01部 東野英治郎
1691年││1970年_第02部
1692年││1971年_第03部
1693年││1973年_第04部
1694年││1974年_第05部
1695年││1975年_第06部
1696年││1976年_第07部
1697年││1977年_第08部
1698年││1978年_第09部
1699年││1979年_第10部 
1700年┘│1980年_第11部
____│1981年_第12部
____└1982年_第13部

なお、各シリーズの間の半年間を劇中の1週間とするとこうなる。

1690(~91)┬┬1969~71年初_第1部~第2部第18話
1691(~92)││1971~72年__第2部第19話~第3部
1692(~93)││1973~74年__第4部~第5部
1693(~94)││1975~77年__第6部~第7部第14話
1694(~95)││1977~78年__第7部第15話~第8部
1695(~96)││1978~80年__第9部~第10部
1696(~97)││1980~82年__第11部~第12部 
1697(~98)┘└1982~83年__第13部
└→東野英治郎の『水戸黄門』の14年を光圀隠居10年に当てはめてみる

西村晃主演になった第14部の第19話で通算400回。東野英治郎主演のシリーズは通算381回で、劇中の381週間を描いたと假定すると7年半になる。

1690年┬┬1983年_第14部 西村晃 400回達成(84年3/5第19話)
1691年││1985年_第15部 ↓
1692年││1986年_第16部 ↓100週間後とすると約2年後
1693年││1987年_第17部 500回達成(87年9/21第4話)
1694年││1988年_第18部
1695年││1989年_第19部
1696年││1990年_第20部 600回を達成(91年2/25第16話)
1697年││1992年_第21部
1698年││1993年_第22部 佐野浅夫、最終回で通算700回(94年1/24第36話)
1699年││1994年_第23部
1700年┘│1995年_第24部
____│1996年_第25部 800回達成(97年5/26第22話)
____│1998年_第26部
____│1999年_第27部
____└2000年_第28部 900回達成(00年8/28第24話)

うるう年、うるう月は除外して考えた。
西村晃主演と佐野浅夫主演で合計500回。劇中の時間が500週間とすると10年弱。
西村晃主演の最終シリーズである第21部で通算664回。東野英治郎主演の381回を除くと283回。
佐野浅夫主演の最終シリーズである第28部で通算910回。佐野浅夫シリーズだけで246回。

また西村晃と佐野浅夫を合わせると529回。10年は520週間なので10日長いだけである。
徳川光圀は1690年10月14日隠居、1700年12月6日没(陽暦で1701年1月14日没)であるから隠居期間は10年と2箇月強。西村・佐野シリーズはぎりぎりで光圀隠居期間の中に入る。
ただ、『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』を含めて考えると、西村・佐野版の光圀隠居期間の合計が10年と2箇月を超えてしまう可能性が出てくる。500回を500日とすればたったの1年半になり、残りの8年半は旅をしていなかったことになるが、旅行期間中は大忙しだったことだろう。
└→20世紀の『水戸黄門』31年3分割、2分割、非分割

1690年┬┬2001年_第29部 石坂浩二
1691年││2002年_第30部
___││____第31部 里見浩太朗
1692年││2003年_第32部 1000回達成
1693年││2004年_第33部
1694年││2005年_第34部
___││____第35部
1695年││2006年_第36部
1696年││2007年_第37部
1697年││2008年_第38部
___││____第39部
1698年││2009年_第40部
1699年││2010年_第41部
___││____第42部 1200回達成
1700年┘└2011年_第43部

21世紀の『水戸黄門』は石坂浩二と里見浩太朗の時代を合わせて10年なので、光圀隠居期間と一致している。

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2011年10月