時代に合わなくなったのはいつからの『水戸黄門』か
『水戸黄門』終了の原因はいつから始まったか。問題のある作品となったのはいつからか。
「『水戸黄門』が時代に受け入れられなくなった」というようなことが言われる。だが、それは一体、いつからの『水戸黄門』なのだろうか。検証してみる。

 

フィクションとしての『水戸黄門』の歴史
1.文化・文政時代または幕末以降の『水戸黄門漫遊記』(約200年、約150年、140年強)
文政元年は1818年だから193年前。200年前は1811年で文化年間。
幕末は1853年からだから158年前。150年前は1861年だから文久年間。
明治元年は1868年だから143年前である。
『歴史への招待』によると『水戸黄門漫遊記』の講談が出たのが文化・文政かららしい。
徳川光圀は関東から出ていないのに、全国行脚したように仕立て上げた江戸時代後期の人々による「洗脳」が、2011年になって解けたことになる。
時代劇は現代日本が捨てたはずの「刀による斬り合い、殺し合い」や「身分制度」を悪としながら同時に主人公の武器とする逆説的な娯楽作品である。日本人が持つ「水戸黄門幻想」は明治維新から143年たってやっと、解消されたか。すると日本人が名実ともに近代化するのに、王政復古から143年必要だったことになり、それ以前に日本人は和服から洋服に着替えながら精神構造は江戸時代のままだったことになる。
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2.明治末の映像化作品としての『水戸黄門』(100年強)
『水戸黄門漫遊記』の映画は尾上松之助主演で1910年に始まっていたようなので、101年かそれより長い歴史がある。
映像化作品としての『水戸黄門』の人気が100年経過して「息切れ」したか。
52年前、1959年に月形龍之介主演の映画『水戸黄門 天下の副将軍』が公開され、里見浩太郎(現・浩太朗)が格之進を演じた。その数年後、『水戸黄門』はテレビの時代に入る。

 

 

3.月形龍之介時代を含むテレビの『水戸黄門』(約50年)
1964年にテレビで月形龍之介主演のブラザー劇場『水戸黄門』があったらしい。
1964年は47年前であるから、約半世紀。電気紙芝居による連続時代劇としての『水戸黄門』の歴史が半世紀で終わった。連続時代劇にするとマンネリになり、飽きられるという宿命がある。

 

 

4.TBSナショナル劇場の『水戸黄門』(42年)
1969年に東野英治郎主演で始まったナショナル劇場の『水戸黄門』。世間ではこの42年のシリーズが終了したという見方が主流。
印籠が定番化したのは2年か3年後なので1971年か1972年のようである。里見浩太朗が助三郎を演じるようになったのは1971年からだから、里見主演作としては足掛け40年(1988年から2002年までは里見浩太朗は本作から離れていた)の歴史である。
印籠が定番したことで人気が出たが、権威主義的という批判は当時からあり、長い目で見ればこれが、40年後に支持されなくなったとも言える。

 

 

5.由美かおる、野村将希参加による娯楽作品化(約25年)
西村晃は1983年から2代目光圀役で、28年前。かげろうお銀登場は1986年からで25年前。柘植の飛猿の登場は1987年からで24年前。一時的に人気は出たが、これが『水戸黄門』の視聴者を変質させたのではなかろうか。脚本より出演者や定番シーンを求める層を増やし、2000年の飛猿退場、2010年のお娟退場でファンを失う結果になったとも言える。2010年の助・格役交代より由美かおる卒業のほうが「大ニュース」になるに到って、シリーズの命運は尽きていた。

 

 

6.21世紀の石坂浩二~里見浩太朗主演の『水戸黄門』(10年)
21世紀に入り、ナショナル劇場で『水戸黄門』の合間のドラマが現代劇になると同時に、『水戸黄門』では由美かおるを除くそれまでのレギュラー全員が交代。由美かおるの演じる女忍者もお銀からお娟になった。特に東野英治郎のシリーズから登場していた弥七、八兵衛が去った意味では月形龍之介に近くなったとも言えたし、権威主義の象徴である印籠の出ない回を混ぜたりしたところは東野シリーズの初期に戻ったとも言えるが、一度定着したパターンに慣れた視聴者が保守化して拒否反応を示したようだ。これが打ち切りの遠因になったという見方もあるが、それでも光圀が隠居してから没するまでの年月に等しい10年間、シリーズが持ちこたえたところを見れば意味があったとも言える、

 

 

7.2002年以降の里見浩太朗の『水戸黄門』(9年)
光圀役で分類すると5代目・里見浩太朗で『水戸黄門』が終わったことになる。ナショナル劇場としては切り札を使ったつもりだったのだろうが、助三郎役の使い回しでは人材不足の印象を視聴者に与えたことだろう。ただ、逸見稔は西村晃の時代から次の光圀役を里見浩太朗に考えていた。里見浩太朗は50代で白髪の老人を演じたくなかったために拒否し、2002年に光圀役になったらしいが、それなら里見浩太朗の助三郎役卒業のあとに、里見浩太朗のが藩主時代の若い光圀を演じる作品をスタッフがが作ってもよかったはずだ。里見浩太朗は石坂浩二が病気で急に降板したあとの、間に合わせのピンチヒッターのように見えたが、実は西村晃のあと、佐野浅夫と石坂浩二という「つなぎ」が起用されただけで、里見浩太朗の光圀役は助三郎時代から考えられていた基本路線だったようである。

 

 

8.視聴率が一桁まで落ちた2008年以降(3年)
第38部~第39部が放送された2008年に視聴率が初めて一桁まで落ちたらしい。
2007年の第37部で鬼若(演:照英)とアキ(演:斉藤晶)が降板し、弥七(演:内藤剛志、ないとうたかし)が入れ替わりに登場。八兵衛に相当するキャラクターはおけらの新助(演:松井天斗)だったので、第37部の後半は弥七、お娟、アキ、新助という珍しいメンバーで見応えがあった。だが、その次のシリーズで視聴率が下がったのはどういうわけか。
2009年の第40部では新助に代わって2代目林家三平のちゃっかり八兵衛が登場した。

 

 

9.2010年第42部から2011年第43部、最終シリーズのメンバーの時代(1年強)
光圀:里見浩太朗、助三郎:東幹久、格之進:的場浩司、八兵衛:林家三平、楓:雛形あきこという布陣は2010年から。
2008年に視聴率が初めて一桁まで落ち、それでテコ入れが図られて、2年後に原田龍二、合田雅吏、由美かおるが降板した。このテコ入れが結果として失敗だった。
└→補足『水戸黄門』の「何」が受け入れられなくなったか・補足

 

 

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2011年10/26 10月