1996年から2001年までのナショナル劇場の「改革」の意味
逸見稔の死後、加藤剛が高齢化し、『大岡越前』に代わる時代劇が『水戸黄門』の合間で検討された。記事では触れられていないが『江戸を斬る』も里見浩太朗主演の第2シリーズで終わっている。記事ではかげろうお銀を主人公にした『水戸黄門外伝』と原田龍二を抜擢した『怒れ!求馬』が取り上げられた。しかし、これらも満足いく視聴率をあげられず、2001年に『水戸黄門』の隙間番組は現代劇となり、『水戸黄門』も石坂浩二シリーズで脚本のマンネル脱皮が図られた。

春日氏はこの一連の改革が「ナショナル劇場を支えた視聴者の岩盤を崩す結果となった」としている。
しかしながらその「岩盤」たるものは時代劇視聴者の中でも高齢であった人たちで、パナソニックにとっては敬遠したい層だったはずだ。
それにこれらの改革がなければ『水戸黄門』は1996年ごろの佐野浅夫主演の時代で終わっていたわけで、21世紀になって去って行った「元視聴者」にとっては同じことである。

逸見稔氏について『週刊文春』の記事をおさらい
『週刊文春』2011年7月28日号の里見浩太朗のインタビューによると逸見稔氏は西村晃シリーズの時、光圀役の後継者として里見浩太朗を考えており、助三郎が光圀に変装したシーンはそのためのテストだったらしい。
里見浩太朗は1988年に助三郎役を降板して、あおい輝彦が3代目助さんとなり、西村晃が降板したのは1993年であった。里見浩太朗は1993年当時、まだ年寄りのやくはやりたくないとして固辞し、3代目光圀は佐野浅夫になった。
里見浩太朗が2002年から光圀役をして10年近く経過し、それでも「ご老公が助さんに見える」という声があるとすれば、もし1993年の時点で里見浩太朗が光圀なっていたら視聴者の違和感はもっと大きかっただろう。
大体、『松平長七郎』や『江戸を斬る』の主演だった里見浩太朗に光圀を演じさせるなら藩主時代の青年光圀を主人公にする話にしてもよかった。

逸見稔氏の考えは視聴者の求めるものとも乖離していたようだ。

1990年代の時代劇
春日氏の記事によると1990年代後半から2000年代初めにかけて、民放各局が時代劇から撤退を始めたらしい。『江戸を斬る』『大岡越前』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』の終了は確かにその時期である。
『大岡越前』『遠山の金さん』はテレ朝で21世紀に一時復活したが、長くは続いていない。
必殺シリーズは1992年に『必殺仕事人・激突!』が放送され、その後はまさに1996年に映画『必殺!主水死す』が封切られた。個人視聴率導入以前にテレビの連続時代劇としては一度終了していた。
『暴れん坊将軍』の合間の番組は1990年代初めに『将軍家光忍び旅』『殿さま風来坊隠れ旅』が放送された。

NHK大河ドラマは1995年に『八代将軍吉宗』、96年に『秀吉』が放送されており、民放の時代劇撤退の影響は受けていないように見えるが、鈴木嘉一氏『大河ドラマの50年』では時代劇の視聴者が中高年男性であり、いずれ先細りするので、スタッフが若者と女性を意識して何度も「改革」を試みたことがわかる。

テレ朝では『暴れん坊将軍』の終了と前後して『三匹が斬る!』『八丁堀の七人』『天罰屋くれない 闇の始末帖』が放送されており、北大路版『大岡越前』、松平健の『遠山の金さん』、村上弘明の『銭形平次』など古典的な作品もリメイクしていた。
だが、1990年代後半からの時代劇撤退で、視聴者も「先が読める定番時代劇」を拒否するようになったのだろう。

里見浩太朗は「かつて時代劇ブームがあり、その中で多くの作品が淘汰され、最後に残ったのが『水戸黄門』」として、『水戸黄門』がドラマとして勝利したようにコメントしていたが、春日太一は『水戸黄門』が「スポンサーが制作をして、テレビ局からの介入を受けないガラパゴス的番組だった」ことを生き残りの理由に挙げており、時代劇のブームが去って時代劇がなくなっていったのも「個人視聴率導入で、時代劇の視聴者の大半が高齢者であることがわかったから」としている。
しかし、時代劇からの撤退はテレビ局よりスポンサーの事情によるもので、むしろ松下電器に支配された『水戸黄門』制作陣は1996年の段階で時代劇を打ち切っても不思議はなかった。むしろそれから15年間、『水戸黄門』が続いたことは、テレビ局が時代劇を守ろうとした証しではなかろうか。

いずれにしろ、今となってはパナソニックにとってもTBSにとっても『水戸黄門』継続は重石(おもし)であり、負担が大きく、続けてもメリットはないということだろう。スタッフも脚本家もやる気を失っているのではなかろうか。

もともと時代劇が高齢者向けであることがわかった時点で、從来の視聴者を捨てることは覚悟の上であった。
そして第31部でスタッフが里見浩太朗を起用したのも、第42部で助&格を原田龍二&合田雅吏から東幹久&的場浩司にしたのも、スタッフとしては視聴率回復のための切り札またはテコ入れのつもりだったのだろうが、それが全部裏目に出た結果となった。

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2011年9/26 9/27 9月