安政の大獄は1858年から1859年まで。
2011年から152~153年前。

2009年当時、1859年の横浜開港から150年と言われていた。

井伊直弼は日米修好通商条約を結んで開国を勧めた。
水戸斉昭らはそれに反対したのだから、井伊直弼が改革派で水戸が保守派。

安政の大獄は改革派でなく保守派の追放であった。
桜田門外の変(桜田門外は永田町と霞が関)は水戸と薩摩の浪士たちの仕業。

最終的に水戸斉昭の息子・慶喜が大政奉還をして、薩長をメインとする倒幕派が明治政府を作った。
保守と革新の線引きは簡単にはできない。あるいは保守と革新は表裏一体であろう。

明治維新が王政復古であったことからわかるし、ルネサンスも文藝復興であった。

新しい総理大臣が就任するたびに周りが総理を引きずり降ろそうとして毎年大臣が変わるのでは、官僚主導になるのは当たり前。
改革をとなえた政権の支持率が下がれば、政府が改革を捨てるのは当然である。

『水戸黄門』終了も「マンネリ」と「刷新」の二輪で続いた結果である。
スタッフは基本路線を維持しながらキャストを変えていた。
視聴率が下がればキャストが変わるのは当然。
助三郎&格の進の役が原田龍二&合田雅吏で視聴率がなかなか上がらなかった結果、東幹久&的場浩司に交代したわけだろう。今のキャスティングに不満の人たちは前のキャスティングのときに見なくなった人を恨むべきであろう。
キャストをどう変えても視聴率が上がらなければ、これはキャスティングの問題でなく、東野英治郎の時代からの基本路線が支持されなくなったわけだ。スタッフが「時代の趨勢で番組が受け入れられなくなった」と判断するのも当然である。

「何か不満があれば政治のトップを取り換えればいい」という安易な考えが『水戸黄門』を長寿番組にしていたのであろう。

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2011年9/25