第1話「南から来た密使(水戸)」
小笠原佐渡守が老中になって、水戸老公に挨拶に来た。
佐渡守が就任したのは1697年(元禄10年)。

格之進の妻・深雪(みゆき)が懐妊。
柳沢吉保が「光圀の2度の漫遊は薩摩取りつぶしのための材料集め」という流言を廣めた。
柳沢の行動も問題だが光圀が余計な漫遊などするのも問題だ。
ここで柳沢は尾張を将軍家後継ぎに推していた。

柳沢は薩摩を採り潰してそれを水戸光圀の仕業にしようと謀っていた。

島津光久の家臣が水戸に来訪。
光久は1687年まで薩摩藩主で1695年没。

お新の父が家来だった男・夜鴉の藤吉に殺されたが、藤吉は弥七の風車を武器にして、弥七の仕業に偽装。
弥七は他の忍者と戦うとき、風車を投げるが、ちゃんと回収しないと、相手に風車を奪われ、悪用され、弥七自身に容疑がかかる危険性がある。

1690(元禄03) 9/8、お新の父死去(第3部第1話→第2話の墓で「元禄三年」と判明
1693(元禄06)~ 光圀が綱吉に犬の皮を献上(第2部第33話尾張が中納言)
1694(元禄07) 陽暦で翌年、光圀が藤井紋太夫を斬る(第1部第2話)
1697(元禄10) 小笠原佐渡守が老中に(第3部第1話冒頭)
______ 光圀が紀州で源六(のちの吉宗)と会う(第38部第5話、推定)
______ 光圀が敦賀で悪い公家1名と対決(第38部第9話)
______ 頼方(のちの吉宗)が江戸で綱吉に謁見

第2話「明神谷の決闘(小田原)」
光圀は建前では讃岐高松へ孫の顔を見に行くとして柳沢に報告。
弥七と八兵衛がお新の父らしき男の墓に墓参り。元禄3年(1690年)に56歳で没したとある。お新の父は1635年生まれか。
第1話の佐渡守が老中になったのはその7年後らしいので、ここで時代設定が破綻している。
光圀が小田原藩主を「加賀殿」と呼んでおり、大久保加賀守(忠朝)と思われる。

補足
水戸と薩摩
幕末になって水戸藩主は斉昭であった。
井伊直弼は水戸と薩摩の浪士たちによって暗殺され(必殺シリーズでは中村主水が暗殺)、さらに倒幕派は薩長で、最後の将軍は水戸徳川家出身。
まことに奇遇である。
「史実」では熱海から南に行っていない光圀はドラマで薩摩まで行ったようである。しかし琉球には行っていないようだ。『暴れん坊将軍』では吉宗は琉球に行っている。
もし『水戸黄門』が琉球を舞台にしたら、琉球の民を苦しめる薩摩藩士を光圀がこらしめる話になったであろうか。琉球としては地元の問題を関東に解決してもらうのは屈辱かも知れないし、所詮は大和(日本本土)から来た武家階級同士の問題が地元に波及しただけということになる。
日本各地の立場で言えば水戸光圀の世直し旅は、江戸幕府が幕藩体制の缺陥を非公式な手段で是正しているプロセスということになるだろう。

NHK大河ドラマの場合、水戸が舞台(主人公の出身地)になったのは『徳川慶喜』、薩摩が舞台となったのは『獅子の時代』『翔ぶが如く』『篤姫』であった。どれも幕末の話である。

前後一覧
2011年9/24 9/25 9月
2012年1/17