鈴木嘉一(Suzuki Yoshikazu)著『大河ドラマの50年』(中央公論社、2011年)

 

 

引用文の中で太字にしてあるものは、引用の際に特に重要だと思う部分であり、原文では太字にはなっていない。

 

 

 

122~123ページ(齊藤暁プロデューサーによる1979年『草燃える』について)
政子と頼朝が「あなたって、思っていたより子煩悩ですのね」「遅い子だからな」といった調子で話したように、大胆にも現代語調のせりふを取り入れた。義時らの若い御家人の会話では、「なんちゃって」という流行語まで取り込んで、論議を巻き起こした。齊藤暁は「年配層」からの反発は覚悟のうえで、思い切って現代の口語を取り入れた。鎌倉時代を今の感覚で見せれば、夫婦や親子の関係が自然に伝わると考えた。現代人に共感してもらえるよう、時代劇で使われる表現や言葉も変わっていいのではないか。賛否両論を経て、視聴者には受け入れられた」と振り返った。

 

 

 

124ページによると、『草燃える』の視聴率は第1回が27.9%で、主婦層も取り込み、最高で34.7%、平均で26.3%と前作『黄金の日日』の25.9%を超えるヒットを飛ばしたらしい。

 

 

 

134ページ(1981年『おんな太閤記』について)
台詞が長いことについて橋田壽賀子のコメント。
「…長ぜりふになるのは、テレビ画面を見ていなくても、聴いていればわかるようにと、ラジオドラマのつもりで書いているからです。主婦は何かと忙しく、家事をしながら見聞きすることがあります。私は若者や男の人は意識せず、三〇代後半から上の女性に見てほしいんですよ

 

 

 

女性脚本家が女性を想定して台本を書く路線は30年前からあった。そして橋田壽賀子は合戦を少なくしたかったらしい。

 

 

 

135ページ(1981年『おんな太閤記』について)
橋田が「合戦シーンは要りません」と言うと、スタッフに困った顔をされた。大河ドラマの場合、スペクタクルの合戦シーンは売りものの一つだからである。橋田は「できれば「関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わった」という一行のナレーションで済ませたかった。女は人が殺されるところを見たくないんですよ。それに、人間のドラマは戦の前後にあると思いますからね」と語る。

 

 

 

「」の中にまた「」があって、『』になっていないのは原文のまま。
橋田壽賀子脚本の『99年の愛』では戦場での人の死が描かれていたが、これは重要登場人物の悲惨な戦死を描いた結果であった。

 

 

 

田渕久美子脚本の『江』でも合戦シーンはほとんどない。戦場で兵士同士が斬り合う場面はほとんど描かれていない。TBSの『水戸黄門』でも人間ドラマを重視し、殺陣(たて)は短くなっている。
別の箇所にあるように時代劇は予算がかかり、合戦シーンがあるともっとかかる。

 

 

 

162ページ(1987年『独眼竜政宗』について)
1980年代、時代劇の退潮が続き、大河が近代路線に入ったことを述べたあと、「時代劇離れ」についてこう書かれてある。まるで2011年のテレビ界のことを言っているように見える。
時代劇のプロデューサーたちが一様に挙げるのは、若い視聴者層とスポンサーの“時代劇離れ”だった。中高年の男性層に人気があり、一定の視聴率を取っても、主婦や若者を相手にする多くのスポンサーは敬遠してしまう、というのである。現代劇よりも制作費がかさむことも無視できず、合戦シーンとなれば倍以上かかる。

 

 

 

これは2011年の『水戸黄門』終了と『江~姫たちの戦国~』での合戦シーンの少なさにも当てはまる。しかし1980年代には時代劇の退潮とブームが入り乱れて、局によって時期が異なっている。
└→1980年代の時代劇【参】

 

 

 

215ページ(NHKエンタープライズ制作の1993年『琉球の風』『炎立つ』について)
ご当地が大河ドラマを歓迎する中で、批判的な声もあった。日本民間放送連盟は一九九二年一月、NHKエンタープライズを中核とするNHKの関連団体の活動に対し、「NHKは服地収入の拡大を名目にして、関連会社を使って営業活動をしている。最近は自治体や企業とタイアップし、制作費の一部を負担させるケースも目立つ」と非難した。

 

 

 

1993年当時はまだ民放に時代劇が多かったが、2011年になってTBS『水戸黄門』も終了が決定し、フジテレビの場合、韓流に批判的な視聴者がデモを起こす始末である。茨城県の水戸市をはじめとする3市の市長がTBSに『水戸黄門』継続を陳情した。もし『水戸黄門』に高齢者の視聴者が多いのならパナソニックにとっては廣告効果が期待できない。茨城県や水戸市がスポンサーになるなら継続は可能だろうが、すると自治体がテレビ局に費用を提供することになり、それは県民、市民の税金から出る。すると時代劇に感心のない市民が「税金の無駄遣いはやめろ」とデモでも起こす可能性がある。
民放は制作費節約のために時代劇から撤退し、安上がりなバラエティに移っている。テレビ地上波で民放から時代劇が消えることとなり、大河ドラマで時代劇を守っているNHKが自治体と組んで営業をするのも、理解できる。

 

 

 

241ページ(1996年『秀吉』について)
秀吉の妻はこれまでの大河ドラマでは「ねね(寧々)」とされてきたが、この『秀吉』から「おね」が採用された。おねは沢口靖子、秀吉の母なかは市原悦子、義父の竹阿弥は財津一郎、妹さとは細川直美が演じた。

 

 

 

確かに『おんな太閤記』では佐久間良子の演じた北政所は「ねね」であった。大野敏明氏は「歴史ドラマのウソホント」で「今では『ねね』が有力」としており、明らかに大河の「ねね→おね」の流れに逆行している。

 

 

 

266ページ(2002年『利家とまつ~加賀百万石物語~』について)
大河ドラマを含めた時代劇を好む男性層は高齢化し、視聴者の世代交代も進む。従って、従来の固定ファンに向けて作っていれば、先細りするのは目に見えている。視聴者の半分は女性であり、大河ドラマの作り手たちは「女性と若者」をより意識せざるをえなくなった。

 

 

 

268~269ページ(2002年『利家とまつ』について)
「食事の時はしゃべってはいけません」「仮病とはなんですか。起きなさい」といった現代語調のせりふには賛否両論があったが、これは一九七九年の『草燃える』でも試みられていた。「若手俳優の演技がトレンディードラマ風で、重厚さに欠ける」「女性があんなに活発だったはずがない。史実を無視しているのではないか」という声もあったが、視聴率は好調に推移した。

 

 

 

2011年の『江』でも台詞が現代語であることが指摘されているが、それは今に始まったことではない。

 

 

 

269ページ末2行(2002年『利家とまつ』について)
ホームドラマ路線は橋田壽賀子作の『おんな太閤記』を源流とし、『毛利元就』を経て『利家とまつ』に受け継がれた。『利家とまつ』の成功は、二〇〇六年の『功名が辻』につながっていく。

 

 

 

277ページ(2004年『新選組!』について)
近藤たちが江戸で若き日の坂本龍馬や桂小五郎と知り合う設定に対し、「史実と違うのではないか」という批判が出た。しかし、大河ドラマは歴史へ関心を持つ入り口の役目は持っているものの、歴史の教科書とは限らない。

 

 

 

279ページによるとこの作品は若者の心を引き付け、DVDが3万200ボックス、¥8億のヒットを飛ばしたらしい。

 

 

 

279~280ページ(2004年『新選組!』について)
中高年男性という固定ファンだけに頼っていたら、大河ドラマも先細りの一途をたどってしまうだろう。『新選組!』が賛否両論を呼んだのは、大河ドラマという「古い皮袋」に「新しい酒」を注いだ意欲作としての証しかもしれない。

 

 

 

この論評は近代大河について述べた162ページとも重なっている。中高年男性や年配層だけ相手にしていては、視聴者が先細りしてしまうし、民放の場合、若者や女性をターゲットにするスポンサーが敬遠してしまう。『水戸黄門』の終了もその結果だろう。橋田壽賀子に至っては若者もターゲットから除外して、30代後半の主婦層だけを相手にしている。

 

 

 

296ページ(2009年『天地人』について)
二〇〇二年の『利家とまつ』以降、江戸初期を背景にした二〇〇三年の『武蔵 MUSASHI』と二〇〇五年の『義経』を除く六作が、戦国時代と幕末を往復してきた。同じ時代を選び、手を換え品を替えて作る限り、「歴史の脇役」だった人物を主役に“抜擢”する路線を歩まざるをえない。女性と若者を意識した制作意図や脚本、配役には賛否両論がつきまとったが、こうした六作のうち四作が二〇%台の平均視聴率を取った事実は見逃せない。

 

 

 

鈴木氏は記者であって、大河の制作スタッフではないが、作り手の立場で作品を見ている。現代語使用などについて賛否両論があっても「視聴率は好調だった」で良しとするところはテレビマンに近い。
テレビ番組は結局、視聴率という数字ですべて評価されることが改めてわかった。

 

 

 

以前から大河スタッフはファンがオヤジだけでは先細りすると考え、女性と若者を取り込むため模索していたことがわかる。
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春日太一氏の「なぜ時代劇は滅びるのか」によると大河ドラマの制作サイドが考える「女性視聴者」は歴史や合戦に興味がない人たちらしい。「おんな太閤記」でも橋田壽賀子が「合戦シーンは要りません」と言ったようで、田渕久美子脚本の「江」でも合戦シーンは少ない。
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鈴木嘉一氏は大河ドラマ「江」について、10歳に満たない江が神出鬼没な点はもちろん、庶民の立場の架空のキャラクターが存在せず姫の目線だけで話が進む点、江が秀吉の庇護のもとでぜいたくな生活が保障されながら秀吉をののしるわがままさを批判していた。
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(NHK)大河ドラマは1963年(昭和38年)の『花の生涯』から始まった。50周年は2013年(平成25年)の『八重の桜』のとき。2011年(平成23年)当時は『江~姫たちの戦国~』が放送されていた。

 

15:09 - 2020年(令和2年)2月24日

 

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