石坂浩二の『水戸黄門』の意義<壱> <弐>


『水戸黄門』を今観ていない人、かつて観ていたのに観なくなった人は、どの時点の時点から観ていないのか。
例えば史実の徳川光圀の実像から見れば、講談で作られた『水戸黄門漫遊記』の時点ですでに実態からかけ離れており、『水戸黄門』を否定的に見る人は「水戸黄門の全国行脚」の設定で作られた作品そのものを全否定するであろう。
この場合、月形龍之介主演の映画も今の里見浩太朗主演のテレビドラマも同類である。
大野敏明氏は『歴史ドラマの大ウソ』で光圀のことばが江戸標準語で、しかも日本全国でことばが通じるのがおかしいとか、歴史上、光圀より1歳年上從兄弟であったはずの光貞が、東野英治郎時代の『水戸黄門』で、光圀より年下の甥にされている点を批判していた。

一方、毎回印籠が出るようになったのは東野英治郎時代の1970年代初めのようで、横内正によると1969年に始まったTBS『水戸黄門』で2年か3年たったあたりで、視聴者が毎回印籠を見たがるようになったらしい。
この印籠は江戸時代の限られた時代に通用した「徳川の権威」で相手を屈服させるもので、格さんが印籠を出して助さんが「頭が高い。ひかえおろう」と言うのも、「悪代官」が権威を振りかざしているのと大して変わりがない。

ドラマの光圀はこれで日本各地の悪人に説教して廻るが、構造的な改革になっていないので、光圀一行が去るとまた各地で問題が起きる。地方の問題を地元で解決する芽を奪っている意味で問題である。
片山善博氏が2007年の『中央公論』で「水戸黄門幻想」を批判している。片山氏の趣旨は番組への批判よりは、『水戸黄門』を喩えにして「改革派知事への願望」を批判することのようだった。
これを問題にする人にとって、『水戸黄門』は東野英治郎の時代から問題が出てきたことになる。

これに対し、東野英治郎の『水戸黄門』のファンにとっては西村晃、佐野浅夫以降の『水戸黄門』は偽者の水戸老公だった人が本物になりすましているように思えるのだろう。
また、里見浩太朗のファンで彼が助三郎や松平長七郎の役立ったら観たいが、水戸老公の役をしているところは観たくない人たちもいるかも知れない。
この人たちにとっては東野英治郎が光圀役を降りた時点、あるいは里見浩太朗が助三郎役を降りた時点で観る意味がなくなったのだろう。

また、光圀役が西村晃または佐野浅夫の時代、助三郎(演:あおい輝彦)、格之進(演:伊吹吾郎)、八兵衛(演:高橋元太郎)、弥七(演:中谷一郎)に加え、飛猿(演:野村将希)、お銀(演:由美かおる)といったレギュラーで第2の黄金時代を迎えたことも確かであろう。このときの光圀一行は『ゴレンジャー』か『西遊記』のメンバーに近く、娯楽性が一気に高まった。

この時点での『水戸黄門』のファンはおそらく由美かおるのお風呂のシーンがないと『水戸黄門』を観た気がしないのだろうし、第29部と第30部の石坂浩二版 で由美かおるの役がお銀からお娟になり、他のレギュラー俳優が一斉に交代したことに拒否反応を示したに違いない。

しかし西村~佐野版のレギュラー俳優は年齢的にも降板は時間の問題だったし、飽きられる恐れもあった。
また石坂浩二の『水戸黄門』はイメージ一新という意味では評価できる。
もともと徳川光圀の隠居は1690年から1700年までの10年間で東野英治郎時代にその10年が過ぎてしまった。西村晃の時代にさらに10年が経過、佐野浅夫の時代に放送20年を迎えてしまった。光圀が隠居して20年後は1710年で将軍家宣の時代である。

初期作品では、里見浩太朗の演じた助三郎は志乃と結婚し、横内正~大和田伸也が演じた格之進も妻帯者になったにもかかわらず、西村版で助三郎役があおい輝彦に、格之進役が伊吹吾郎に代わるといずれも独身に戻っている。しかも西村版で一斉にキャストが変更されていれば時間軸がリセットされたことになるのだが、西村版で格之進(演:伊吹吾郎)が独身に戻っても、しばらくは助三郎を里見浩太朗が演じ、妻帯者の設定は遺されていたようである。

ややこしいことに、かげろうお銀(演:由美かおる)が加わったのはこの光圀役が西村晃、助三郎役が里見浩太朗、格之進役が伊吹吾郎という中間的な時期で、お銀は妻帯者の助三郎(演:里見浩太朗)と出会って、独身に戻った助三郎(演:あおい輝彦)と一緒に旅をしていたわけだ。
西村晃の『水戸黄門』は東野時代とは異なる時間軸の作品として仕切り直しをして始まったようでありながら、最初の一時期だけ東野時代の助三郎が引き続き登場していたので、時間軸がおかしくなってしまったのだ。

参考になるHP(Blog記事)
『水戸黄門』終了のわけ

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2011年7/22 7月