『週刊文春』2011年7月28日号
東野英治郎に続いて西村晃が主演となったとき、前半では里見浩太朗が引き続き助三郎を演じていた。
西村晃が光圀役のとき、助三郎が光圀に変装しているという設定で、里見浩太朗が光圀の扮装をしたことがある。

里見浩太朗が助三郎役を卒業したのは1988年で、光圀役になったのは14年後の2002年だから、正式な光圀役より15年ほど早かった可能性がある。
里見浩太朗によると、西村晃主演のとき、スタッフは3代目光圀役として里見浩太朗を考えていたらしく、助三郎が光圀に化ける話はそのためのテストだったらしい。
その後、助三郎役はあおい輝彦になり、西村晃が光圀役、あおい輝彦が助三郎役、伊吹吾郎が格之進役の体制で続き、里見浩太朗は『八百八町夢日記』で榊原忠之を演じた。

1992年に西村晃が降板。ここでスタッフは里見浩太朗に光圀役を頼んだが、当の里見浩太朗はまだ1991年まで長七郎シリーズをやっており、老人役をすると若い役ができなくなるということで、一度は光圀役を断ったらしい。

2002年に里見浩太朗が光圀役になったとき、ここで書かれてある反応があったが、その10年前に里見浩太朗自身も感じていたわけだ。

2002年6月後半のばにの日々>6月19日(水)

それから10年後の2002年に正式に里見浩太朗が光圀役になったわけだ。
しかし2002年から光圀役が里見浩太朗になっても、最初は助三郎が光圀に扮しているように見えたものだ。

そうなると、もしスタッフの考えどおり西村晃の次の光圀役が佐野浅夫でなく里見浩太朗だったら、助三郎のイメージはまだ強かったはずだ。

里見浩太朗は1993年から『闇を斬る!大江戸犯科帳』で闇奉行・一色由良之助を演じている。このとき、光圀役を断ったのは正解だったかも知れない。

ここで里見浩太朗は1988年(昭和63年)に里見浩太朗役を卒業して、それから日テレで『忠臣蔵』『』などの年末時代劇スペシャルが始まったように言っているが、里見浩太朗が大石内蔵助を演じた日テレの『忠臣蔵』は1985年(昭和60年)の作品で、当時、里見浩太朗はまだTBS『水戸黄門』でも助三郎役としてのレギュラーであった。
里見浩太朗が助三郎役を卒業したあとの日テレ年末時代劇は『五稜郭』だったようである。

今後は時代劇はテレビの2時間スペシャル、年末年始の特番、映画に移るであろう。
時代劇の主流が映画だった当時、テレビは「紙芝居」とされてさげすまれたが、その「紙芝居」が視聴率を目当てに映画の時代劇を取りこみ、半世紀たってやはり視聴率を理由に時代劇を捨てたことになる。

朝日放送の必殺シリーズは1987年の『必殺剣劇人』を最後に「毎週放送する連続時代劇」としては終了した。その後は2時間スペシャル版として続き、1991年から翌年までの『必殺仕事人・激突!』は21話で終了し、その後、テレビで必殺シリーズはシリーズ化されていない。
1996年の『必殺!主水死す』、1999年の『必殺!三味線屋・勇次』は映画作品である。
フジテレビの『仕掛人・藤枝梅安』は2時間スペシャルとして何年かの間を置き、主演俳優を代えて放映されている。時代劇も今後はそうなるだろう。
必殺シリーズの場合、『必殺仕事人2007』はスペシャル版で、『必殺仕事人2009』は連続時代劇として22話放送されたが、その後は複数の番組としてのシリーズにはなっていない。『必殺仕事人2010』も単發のスペシャル版であった。

今後『水戸黄門』がスペシャルで復活するとすると、徳川光圀を主人公とし、少年時代(将軍は家光の治世)から描く特番になるか、あるいは綱吉または吉宗の生涯、元禄赤穂事件を描いた長時間時代劇の中で付随的に光圀が登場する形になるだろう。

『週刊新潮』2011年7月28日号でも『水戸黄門』に関する記事があって立ち読みしたが、こちらは単なる感想文の寄せ集めだった。佐野浅夫による里見黄門に対する批判には事実誤認があり、『新潮』編集者はそれに注も付けておらず、12/15号で里見浩太朗が反論していた。
└→『週刊新潮』2011年7/28&12/15号、里見浩太朗インタビュー記事


2011年の週刊文春と週刊新潮における里見浩太朗のインタビュー、水戸黄門終了について
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