『水戸黄門』における光圀、助三郎、格之進の同行者

こうなると、第28部の新之助が第38部の源六と同様、若き日の吉宗だとした場合、第28部の新之助が元服前で、第38部の源六が元服後だったことになる。本来なら第28部の新之助が源六と名乗り、第38部の元禄(吉宗)が新之助を名乗っているはずであった、

番組の流れでは「うっかり八兵衛→よろず屋の千太→おけらの新助→ちゃっかり八兵衛」の順序だが、時代設定では「うっかり八兵衛→ちゃっかり八兵衛→(よろず屋の千太)→おけらの新助」となっている可能性がある。

第37部の第10話では能代で鬼若が行方不明となり、第11話の青森で弥七が光圀たちに合流。最終回、江戸での事件を解決後、アキが伊賀に旅立つところで鬼若が迎えに来ていた。
37部の第11話以降は光圀、助、格のほか、弥七は単独行動で、お娟とアキがコンビで別行動という珍しい組み合わせだった。

第4部の高田藩の話は1681年の越後騒動から14年とあるので普通に足し算すると1695年。
しかしこれでは芭蕉没後で、新旧八兵衛の交代後になる。騒動のあった年を1年目として計算すると前年になる。この場合、第40部の時代設定は1694年となる。
└→補足その1

また、東野版、西村~佐野版、石坂~里見版の3期で3とおりの解釋である場合もある。つまり、佐野浅夫版ではうっかり八兵衛は1696年以降にも光圀のお供をしていたが、里見版では1694年でちゃっかり八兵衛に交代したということになる。この場合、第28部の時代設定は1696年以降でも問題ない。
この場合、第28部の新之助も第38部の源六も元服後の吉宗だったことになる。
└→『水戸黄門』における弥七、八兵衛、お銀、お娟等の変遷

なお、第29第1話は光圀藩主時代の1684年から話を始めているようであるが、表では便宜上、1690年の隠居からの時代設定のみを比較する。
1684年は吉宗が生まれた年である。その翌年、1685年に徳川吉孚(よしざね、よしのぶ)が生まれている。

追加
井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では源六と名乗っていた吉宗が新之助を名乗ったのは1694年。これなら第28部の時代設定は1694年でもおかしくないので、この時期に一行に同行していた初代八兵衛が第40部で2代目八兵衛にお供を譲ったとしても、それも1694年の話であれば辻褄が合う。