朝日新聞の「天声人語」で雷と電気の話があった。雷を天のたたりとおそれずオバアサンに対し子供が「雷は電気だ」と言うと、そのオバアサンは「嘘だ。この村に電気が来る前から雷があった」との言。

平賀源内は1728年生まれ。エカテリーナIIは1729年生まれだから、満年齢なら1歳違い。
洋書の輸入の禁止を緩めた徳川吉宗(1628~1751)が没した年の翌年、1752年にフランクリンが凧揚げの実験で雷が電気であることを証明。

源内がエレキテルを見世物にした1776年にはアメリカが独立を宣言している。

源内はエレキテルを見世物にして生活費を稼いだが、研究に協力する者が現れず、当初の医療用との目的はどこかに消えてしまい、世間もエレキテルに飽き、見世物としての電気で終わってしまった。

源内は田沼意次のバブル的な時代の人物だったが、源内の死後は松平定信の寛政の改革に移る。

日本人が電気の実用を知ったのは源内の死から75年後、1854年に黒船が電信機をもたらしてからであった。

杉田玄白が平賀源内に寄せた追悼文「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」は漢文で、書いてある順序のままシナ語で読んで理解できる。
Y!Japan 非常人 行是非常 好非常 何非常

源内はオリーブを「ヲレイヒ」と表記していたのだろうか。
オランダ語でオリーブは olijf である(独語 Olivenbaum)。

源内の没年は陰暦で1779年、陽暦で1780年になる。
5年後の1785年、浮田幸吉がグライダーで飛行事件をしたが逮捕されたらしい。

エカテリーナは1789年のフランス革命の知らせを聴いて西洋思想を弾圧する方向に走り、ロシアのアカデミーは愛想を尽かして去っていった。

源内の作り出した(發見した?)石綿は現在、危険がありすぎて問題になっている。
先に進みすぎた文明は却って危険だという例である。

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2011年6/22 6月