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1970年(2)――消える魔球、打たれる

伴と星がいた巨人軍の宿舎はよみうりランド内だった。

豊福きこう氏の『水原勇気0勝3敗11S』によるとサンフランシスコ・ジャイアンツとの試合は3月21日で場所は東京球場。
阪急とのオープン戦は後楽園で4月5日。石井晶から奪三振。
一方、同じ4月5日、中日球場で中日と野村南海の試合。オープン戦最終日。

ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球セ・パ誕生60年』2010年2月16日号の「1970-71(昭和45-46年)」の特集で調べた。

1970年春、開幕前の4月2日の巨人×ヤクルトのオープン戦で金田正一の引退試合がおこなわれた。金田は国鉄スワローズから巨人に移籍したので、引退試合の相手がヤクルトというのも納得できる。

10日後、4月12日の巨人×中日戦が正式な開幕第1戦で、場所は後楽園で結果は中日の勝利。原作では試合結果は不明で、アニメでは試合終了まで描かれ、確か巨人が勝っていたように思う。

『巨人の星』文庫第10巻の「強いやつが勝つ!」で川上監督が開幕初戦の中日戦の結果を報じる新聞を飛雄馬にプレゼントした。一見すると翌日のようだが、実際は川上監督は1週間前の古新聞を取っておいて飛雄馬に与えた可能性がある。川上監督が「あすの対阪神戦の先発は星」と言っているようにこの場面は阪神戦の前日である。

花形が大リーグボール2号を打倒した試合が開幕後の巨人×阪神の第1試合とすると開幕1週間後の4月19日で、場所が甲子園という点は『巨人の星』でも同じ。ただ、『巨人の星』では阪神が勝利して花形が胴上げされていのは実際の結果と異なり、実際は2対2の引き分けだったようだ。

同じく『巨人の星』文庫第10巻の「負け犬」では花形が大LB2号を打った土曜日の夜、川崎では大洋×広島戦。ここで左門は消える魔球が花形に打たれたことを知るのだが、実際の大洋×広島戦はその前の巨人×中日戦のとき。4月12日に大洋は川崎で広島とダブルヘッダーで2試合をしており、つまり大洋が広島を相手にしていたのは4月19日の巨×神のあった日ではない。しかし巨人×阪神戦のあった19日は神宮でヤクルト×広島戦があったのみである。

また、「青春のぬけがら」での伴の台詞によると、消える魔球が敗れた夜に川崎球場で中日と大洋の夜間試合があったことになっていて、翌日の夜にも中×洋があって2連戦か3連戦のうちの2試合となっていた。
劇中で大LB2号が敗れた日の次の日の夜、飛雄馬がマンションのテレビで見ていた試合は2つ。まず甲子園での巨×神。次は川崎で中×洋。伴は星野仙一の代打で出場している。その後、星が外出して長屋の解体を目の当たりにし、この日の夜9時15分には竜巻グループから京子の危機を知らされ、夜10時に星と竜巻グループの面々鬼怒川組事務所に行き、ここで京子が小指を負傷したという流れになっている。
大LB2号が打たれたのが4月19日とすると、京子が小指を負傷して病院に運ばれたのは4月20日の午後10時以降の夜で、わずか2日間の出来事(できごと)であった。

しかし、すでに述べたように4月19日の巨人×阪神戦の日はヤクルトと広島の試合があっただけで、中日戦はなかったようだ。しかも、1970年当時、中日×大洋の試合は4月にはおこなわれておらず、5月に何度かあったものの、前半戦で中×洋の試合が巨×神の試合と同日におこなわれていたのは、まず6月20日と21日で、中日は中日球場。次に7月14日から16日まで巨×神(後楽園)と中×洋(川崎)の3連戦があり、神宮でのヤクルトと広島の3連戦もこの時期であった。
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2011年6/18 6月

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