ロシアのウラジオストクの中国名も2種類ある。
音譯の「符拉迪沃斯托克」とシナ語名「海参崴」の2種だ。
ハバロフスクにも「哈巴羅夫斯克」のほかに「伯力」という名がある。

ウラジオストク(Vladivostok)→符拉迪沃斯托克(Fuladiwosituoke)、海参崴(Haishenwei)
ハバロフスク(Khabarovsk)→哈巴羅夫斯克(Habaluofusike)、伯力(boli)
サハリン(Sakhalin)→薩哈林島(Sahalin-dao)、庫頁島(Kuyedao)
ユジュノサハリンスク(Yuzhno-Sakhalinsk)→南薩哈林斯克(Nan-Sahalinsike)
ユーゴスラビア(Yugoslavia)→南斯拉夫(Nan-Silafu)

ロシア沿海州がもとは清国の領土だったことを思い起こさせる。
日本でも「樺太」「松輪島」「千島列島」という名前を使っている。
1875年の樺太・千島交換条約(千島樺太兩島交換條約)では「樺太島即薩哈嗹島」「柬加察(カムチャッカ)」といった表記があった(『新詳日本史図説』浜島書店)。
第二款(クワン)
全魯西亞國(ぜんロシアこく)皇帝陛下(くわうていへいか)ハ、第一款(クワン)ニ記(しる)セル樺太島(からふとたう)即(すなはち)薩哈嗹島(サハリンたう)ノ權理(けんり、*くゑんり)ヲ受(うけ)シ代(かはり)トシテ、其後胤(そのこういん)ニ至(いた)ル迄(まで)現今所領(げんこんしょりゃう)「クリル」群島、即チ第一「シュムシュ」島(中略)第十八「ウルップ」島共計十八島ノ權理及び君主ニ屬スル一切(いっさい)の權理ヲ大日本國皇帝陛下(くわうていへいか)ニ讓リ、而今而後「クリル」全島ハ日本帝國ニ屬シ柬加察(カムチャツカ)地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海域ヲ以(もっ)テ兩國ノ境界トス。
(日本外交年表竝主用文書』)

これは『新詳日本史図説』の「160明治初期の外交」の部分に引用されていた文の略字を非略字に戻し、漢字の読みを歴史的假名遣いにして再引用したもの。
「權」の音読みを「ケン」でなく「クヱン」とするのは藤堂明保氏による。
朝鮮人名 Kwon Sang Woo などの Kwon(Kweon) は「權」であろう。


韓国人が主張する「漢字は韓国人が發明した」は誠に奇妙である。漢字は漢語、つまりシナ語の単語を表す文字として作られており、日本語や朝鮮語にある助詞や用言の活用語尾を表すことはできないしも違う。だから日本人は漢文に送り假名をつけて返り点や番号を追加していたわけだし、15世紀の世宗大王も「漢字では朝鮮語を表すことができず、民衆は政府に意見を訴えることもできない」として独自の文字を作ったわけだ。もし、漢字の發明者が朝鮮人だったとすると、自分が話している朝鮮語の助詞や活用語尾を無視して体言を表す文字だけを作ったことになる。
言語の文法構造から見れば朝鮮人はモンゴル人やトゥングース人からの派生かも知れない。韓国人の渤海や高句麗に関する歴史観について、モンゴルやロシアではどう考えているのか、知りたいものだ。
└→韓国人が言う「漢字は韓国人の發明」説は「言語の系統」を無視し「民族」と「国家」を混同している

ウラジオストクとハバロフスクの場合、もともとシナ語名があって、ロシア領になってロシア語名がついたとすると、こういう順序になる。

海参崴(Haishenwei)→Vladivostok→符拉迪沃斯托克(Fuladiwosituoke)
伯力(boli)→Khabarovsk→哈巴羅夫斯克(Habaluofusike)

前後一覧
2011年6/7 6/7前後


参照
近現代~未来(2011年6月)