【弐】

劇中の主水の年齢は演じた当時の藤田まことの年齢より5歳年下で、劇中の秀の年齢は演じた当時の三田村邦彦の年齢と同じ、劇中の順之助の年齢も演じた当時のひかる一平の年齢と同じと假定した。

『裏か表か』の秀と『主水死す』の主水が3歳違いで、『旋風編』の順之助と『アヘン戦争』の主水が1歳違いで、いずれも主水が年下というのは注目すべき点だ。

また『ブラウン館』の主水と『アヘン戦争』の順之助の場合、ここではさすがに主水が年上だが、年齢がわずか4歳差というのも注目点だ。『アヘン戦争』の順之助は1歳の年に生まれたとすると徳川家定と同時代で同い年。

『まっしぐら!』の秀は1800年代の下2桁がそのまま年齢になるので、天保の主水の年齢を西暦1840年で40歳と假定した場合の「天保の中村主水」(下注釋)と「同い年」になる。
2010年2月に他界した藤田まことは没年の誕生日(4月13日)で77歳となっていたはずで、必殺シリーズの劇中の主水が藤田まことより5歳年下の場合、主水の年齢は72歳が上限である。ただ、『主水死す』の場合、主水の年齢は1851年における61歳を上限とする。
1800年以降は『主水死す』の主水の年齢が1800年代の下2桁に10を足した数字になり、1852年以降も存命の場合、72歳になったのは1861年である。1860年前後の『大老殺し』の主水はまだ40代か50代だったと思われるので別人である(下注釋)。

前後一覧
2011年6/6 6月

関連語句
主水 秀 順之助


注釋
「天保の中村主水」
中村主水の年齢に関しては2種類の考え方を採った。
一つは、文政の主水が「1820年で40歳」、天保~嘉永の主水が「1840年で40歳」、幕末の主水が「1860年で40歳」という假定で3種類に分けた基準。もう一つは劇中の主水の年齢が作品放送年における藤田まことの年齢より5歳年下の場合である。上の表の主水の年齢はそれに基づく。
「文政の主水」「天保~嘉永の主水」「幕末の主水」の3基準では、『主水死す』の主水は天保~嘉永の主水であり、1849年から1851年までの年齢が49歳から51歳である。

別人である
ここでは「主水の年齢が作品放送年における藤田まことの年齢より5歳年下の場合」で考えた。
『大老殺し』は1987年の作品で、放送当時の1987年で藤田まことは54歳。主水が劇中で藤田まことより5歳年下とすると49歳になる。この作品の時代設定は1858年から1860年までであり、劇中の主水が1858年の時点で49歳だったとすると2年後の1860年で51歳であり、翌年で主水は52歳。『主水死す』の主水と比べると『大老殺し』の主水のほうが20歳年下である。
『主水死す』は『大老殺し』よりもおよそ10年前のできごとということになる。
一方、「幕末の主水」を「1860年で40歳」とする基準では、『大老殺し』の主水は38~40歳になる。


参照
棺桶の錠、市松、秀、政、竜の時代と世代
中村主水の年齢が藤田まことの実年齢より5歳年下だった場合(天保~嘉永)
中村主水年齢変遷(文政、天保、幕末3基準、江戸時代後期のみ)
一般時代劇vs必殺シリーズ、日本史中心(2011年6月)