時代設定____________放送年
1818文政___________
1819___旋風編_______
1820___仕事人2007_____
1821___仕事人2009_____
1822_____________
1823_____________
1824___徳川家定と捨蔵誕生_
1825_____________
1826___________1973(仕置人~助け人)
1827__________┏1974(仕留人→1853~1854年の設定)
1828___春雨悪人退治_┃1975(仕置屋→1842年ごろの設定?第1話は天保?)
1829__┌<20年前>__┃1976(仕業人→脚本で文政年間?)
1830天保↓_______┃1977(新仕置人→文化・文政年間?)
1831__↓_______┃1978(商売人)
1832__↓鼠小僧処刑__┃1979(仕事人)
1833__↓秀出張仕事__┃1980 
1834__↓_______┃1981(新仕事人)
1835__↓ハレー彗星__┃1982(仕事人III)
1836__↓_______┃1983(仕事人IV~アヘン戦争→1842年の設定)
1837__↓家斉大御所__┃1984(仕切人) 
1838__↓_______┃1985(仕事V~激闘編)
1839__↓_______┃1986(激闘編~まっしぐら→秀出張仕事~旋風編)
1840__↓_______┃1987(旋風編~風雲竜虎編~剣劇人~大老殺し→幕末)
1841__↓江戸警察/風雲┃1988
1842__↓仕置屋/ア戦争┃1989   
1843__↓意外伝____┃1990(横浜異人屋敷~春雨悪人退治~江戸警察
1844弘化↓江戸警察___┃1991(激突!)
1845__↓_______┃1992 
1846__↓_______┃1993 
1847__↓_______┃1994 
1848嘉永↓_______┃1995 
1849……└主水死す………┃1996▼(主水死す
1850__________┃1997 
1851___主水死す___┃1998 
1852__________┃1999(三味線屋・勇次→主水死すの直後?)
1853___暗闇仕留人━━┫2000 
1854安政_暗闇仕留人━━┛2001 
1855___________2002  
1856___________2003 
1857___________2004 
1858___大老殺し_____2005 
1859___________2006 
1860万延_________2007(仕事人2007→1820年の設定)
1861文久_________2008 
1862___________2009(仕事人2009→1821年の設定)
1863___横浜異人屋敷__2010(仕事人2010→仕事人2009の直後?)
1864元治_________2011
1865慶応_________2012(仕事人2012→仕事人2010の直後?)
1866___ブラウン館___
1867___________
1868___________

『必殺!主水死す』の公開年であった1996年を劇中冒頭の時代設定である1849年の真横に書いて、前後の流れを比較してみた。
『仕事人2007』は『主水死す』から11年後の作品だが、時代設定は30年過去にさかのぼっている。
『主水死す』では主水の20年前の仲間が敵となっていたようだが、『主水死す』の公開年から20年さかのぼると、テレビで『必殺仕業人』が放送されていた時期になる。主水は『仕置屋』で南町奉行所に異動して早々、風呂屋で十手を盗まれたことになる。
この場合、文化・文政の設定だった『仕置人』は文政年間に入るが、『新仕置人』は文政最終年(天保元年)に対応する。
また、『仕留人』は時代設定上は『主水死す』の2年後(1853年~翌年)の話なのだが、放送時期は22年前の話であり、それを時代設定に当てはめると『仕留人』の時代は1827年になる。この場合、糸井貢は高野長英の弟子というより同期になり、むしろシーボルトの弟子と考えたほうがわかりやすい。ただ『仕留人』が文政という假定の場合、「黒船来航」の設定は成立しない。

なお、この表では書かなかったが、2006年にはフジテレビで岸谷五朗主演の『仕掛人・藤枝梅安』があり、藤田まことが音羽屋半右衛門を演じている。

『必殺仕業人』の場合、山田誠二氏の『必殺シリーズ完全百科』によると、脚本段階では家斉の治世で文政年間の設定だったが、第1話の「あんたこの世をどう思う」をDVDで再確認すると、やいとや又右衛門が出陣する前に占いの本を見ており、表紙に「天保戌申歳」とある。申年は鈴木福や剛力彩芽が生まれた年なので60年ずつさかのぼればいいのだが、天保で申年となると1836年で、ぎりぎりで家斉の治世だが、これでは『仕置屋』で鳥居奉行が就任したときより5年ほど前にさかのぼってしまう。
└→『必殺仕業人』第1話「あんたこの世をどう思う」

非主水の場合、1972年放送の『仕掛人』の時代設定は番組予告では文化・文政(1804~1830)だったらしいが、『仕掛人・藤枝梅安』の劇画版では寛政末期の1798年に小杉十五郎が松平定信の護衛を担当し、梅安と彦次郎が裏稼業を継続していた。梅安活動の期間は1790年代から1820年代までの間と推定できる。

1973年に『助け人』にゲスト出演したときの主水は北町奉行所同心で、主水シリーズで主水が北町の同心だったのは同年放送の前作『仕置人』か1974年放送の次作『仕留人』であり、前者なら時代設定は文化・文政で、後者なら幕末になる。
『助け人』最終回で将軍が死んでおり、どの将軍が明確ではないが、『仕留人』の黒船来航時に家慶が没したことと重なる。

1984年の『仕事人IV』のあとに『仕切人』があり、鳥人間大会で平賀源内(1779年没)が登場したのは例外として、インターネットの資料によると占いブームが辛亥の年だったらしい。辛亥革命のあった1910年(明治43年)の前は1851年の嘉永年間で、『主水死す』で勇次と秀が主水と最後に組んでいた時期と重なる。
1986年の『激闘編』と『旋風編』の間に『必殺まっしぐら!』があり、秀が出張仕事していたのは1833年、天保4年のことだったらしい。

参考になるHP
「必殺! 主水死す」: しょうことなし(仮)

このBlog主は『必殺!主水死す』における「20年前」を『新仕置人』と『商売人』の間と推理している(それにしても『遠山の金さん』を杉良太郎のあと観ていない人らしいので、少々気の毒だ)。
主水死す』は1996年5月25日公開。
その20年前は1976年5月25日。これは『必殺仕業人』の放送時期だろう。
『必殺仕業人』は1976年1月16日から7月23日まで28回。
第19話「あんたこの奥の手をどう思う」(1976年5月21日)と第20話話「あんたこの志をどう思う」の間が『主水死す』公開の20年前である。
『必殺からくり人』は1976年7月30日から10月22日まで13回。
『必殺からくり人・血風編』は1976年10月29日から1977年1月14日まで。
『新必殺仕置人』は1977年1月21日から1977年11月4日まで放送。
『新必殺からくり人』は1977年11月18日から1978年2月10日まで。
『必殺商売人』は1978年2月17日から8月18日まで。

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2011年6/5 6月