1787_┌『裏か表か』の秀(1820年で33歳)
1788_01
1789_02
1790_03
1791_04
1792_05
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1794_07
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1797_10_┌文政のお民1(秀が30歳のときお民9歳)
1798_11_│_┌文政のお民2(1818年でお民9歳)
1799_12_│_│
1800_13_│_│_┌『まっしぐら!』の秀(1833年で33歳)
1801_14_│_│_01
1802_15_│_│_02
1803_16_│_│_03
1804_17_│_│_04
1805_18_│_│_05
1806_19_│_│_06
1807_20_│_│_07
1808_21_│_│_08
1809_22_01_│_09
1810_23_02_01_10_┌天保初めのお民(秀が30歳のときお民9歳)
1811_24_03_02_11_│  
1812_25_04_03_12_│_┌『仕事人アヘン戦争へ行く』の秀
1813_26_05_04_13_│_01(1842年で30歳)
1814_27_06_05_14_│_02
1815_28_07_06_15_│_03
1816_29_08_07_16_│_04
1817_30_09_08_17_│_05
1818_31_10_09_18_│_06
1819_32_11_10_19_│_07
1820_33_12_11_20_│_08
1821_34_13_12_21_│_09
1822_35_14_13_22_01_10
1823_36_15_14_23_02_11
1824_37_16_15_24_03_12
1825_38_17_16_25_04_13
1826_39_18_17_26_05_14
1827_40_19_18_27_06_15
1828_41_20_19_28_07_16
1829_42_21_20_29_08_17
1830_43_22_21_30_09_18 『まっしぐら!』の秀30歳
1831_44_23_22_31_10_19
1832_45_24_23_32_11_20_┌天保末のお民(1842年で9歳)
1833_46_25_24_33_12_21_│ 『まっしぐら!』の秀が出張仕事
1834_47_26_25_34_13_22_01
1835_↓_27_26_35_14_23_02
1836_略_28_27_36_15_24_03
1837___29_28_37_16_25_04
1838___30_29_38_17_26_05
1839___31_30_39_18_27_06
1840___32_31_40_19_28_07
1841___33_32_41_20_29_08
1842___34_33_42_21_30_09 アヘン戦争終結
1843___35_34_43_22_31_10
1844___36_35_44_23_32_11
1845___37_36_45_24_33_12
1846___38_37_46_25_34_13
1847___39_38_47_26_35_14
1848___40_39_↓_27_36_15
1849___41_40_略_28_37_16
1850___42_41___29_38_17
1851___43_42___30_39_18
1852___44_43___31_40_19
1853___45_44___32_41_20
1854___46_45___33_42_21
1855___47_46___34_43_22
1856___↓_47___35_44_23
1857___略_↓___36_45_24
1858_____略___37_46_25
1859_________38_47_26
1860_________39_↓_27
1861_________40_略_28
1862_________41___29
1863_________42___30
1864_________43___31
1865_________44___32
1866_________45___33
1867_________46___34
1868_________47___35

お民を演じた林佳子はネットで調べると1974年生まれのようである。三田村邦彦より21歳年下だったわけだ。
『必殺仕事人IV』が放送された1983年で三田村邦彦が30歳、林佳子が9歳だったとして、劇中の秀とお民の年齢もそれぞれ演じた俳優の年齢で、秀が30歳、お民が9歳だと假定する。

1983年放送の『仕事人アヘン戦争へ行く』の場合、1842年でお民が9歳とすると1834年のときに1歳だったことになる。
ただ、『仕事人IV』の最終回で南町奉行が鳥居耀蔵でなかったので最終回だけ天保後期でなかった可能性がある。

1986年放映の『必殺!III裏か表か』の時代設定は1820年で、このとき、秀が33歳(86年当時の三田村邦彦の年齢)とすると30歳だったのは1817年。しかし『旋風編』では1819年で主水がすでに「仕事人」なので文政のお民が秀と一緒に江戸から去ったのは1818年の可能性もある。
そこで文政のお民は1817年または1818年で9歳だったと假定する。
年齢が数え年だとすると文政のお民は1808年か1810年に生まれたことになる。
お民は『裏か表か』には登場しないが、『裏か表か』で描かれた1820年当時は11歳か12歳だったことになる。

『必殺まっしぐら!』では遊女見習いの若紫が登場し、若紫の年齢は不明だが、『仕事人アヘン戦争へ行く』の秀が計算上、1833年当時推定21歳であり、若紫もその年齢に近いか数年年下だろう。ここではお民の年齢を優先して考える。『まっしぐら!』の秀が33歳で、30歳のときに当時9歳のお民と生活していたと假定する。そうするとお民は秀より21歳年下なので、天保初期のお民は1822年生まれ(年齢が数え年で、生まれた年で1歳)。天保初期のお民は徳川家定と捨三より2歳年上だ。
何より文政のお民が1833年当時で24~25歳という妙齢にさしかかっていることと、文政のお民が天保末(『アヘン戦争』)の秀と近い世代に入るのが注目点である。

また、この表には記載しなかったが『香港・マカオ』の秀は生まれた年が『まっしぐら!』の秀より3~4年あとになる、劇中年齢では『香港・マカオ』の秀が年上だが、西暦何年生まれかという意味では『まっしぐら!』の秀が年上である。『香港・マカオ』の秀が30歳だったのは1833年か1834年である。ちょうど『まっしぐら!』の秀が活動していた時期だ。お民は1825年か1826年で1歳。家定より1歳か2歳年下になる。

さらに『主水死す』の秀が30歳だったのは1836年である。お民は1828年生まれ。シーボルト事件の年に生まれており、西郷隆盛とほぼ同世代だ。

生まれた年で比較すると、文政のお民は島津斉彬(1809~1858)と年齢が近く、天保初めのお民は家定(1824~)と年齢が近かった。
天保末のお民は1834年生まれとなり、天璋院(陰暦1835/陽暦1836~1883)と1歳違いでほぼ同世代である。
また、幕末の中村主水を「1860年当時で40歳」とすると天保初めのお民とほぼ同世代になる。

『裏か表か』で秀が惚れた女性が登場したが、この人物は年齢から考えてお民とは別人であり、若紫も13歳以上であればお民とは別人である。

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2011年6/2