沖縄県の人が基地の県外移設を求める気持ちもわかるが、具体的にどこの都道府県に米軍基地を置くべきなのか、沖縄県で代案を出さない限りはたらい回しになる。
鳩山政権で日米同盟が「危なく」なっただけで、中国漁船が尖閣沖でちょっかいを出してきた。もし日本が憲法9条を破棄して自ら米軍なみの軍事力を持ち、世界中に軍事介入をする国であったらこんなことにはならなかったし、早い話が、もし日本が実質、日本領であった満州国(満洲国)を中国全土や台湾に擴大して今に至っていれば、尖閣問題など存在しなかったわけだ。

もし沖縄が米軍基地を拒否するなら日本が米軍を不要とするほどの軍事大国になるよう永田町に提案するか、基地の移設先を沖縄で決めて、沖縄が移設先の自治体と交渉するか、あるいは東アジア不安定の原因である中国や北朝鮮と沖縄が直接交渉するか、沖縄が奄美と一緒に独立国家に戻るといった具体的な行動が必要だろう。

東日本大震災で米軍が被災者救助と支援に活躍したが、自衛隊が在日米軍に代わって日本に駐留していれば自衛隊だけで活動できたわけだ。
沖縄県民が日本の自衛隊も拒否するのならさっさと独立したほうがいい。

次に日の丸・君が代への起立命令に対して最高裁で合憲の判決。
そもそも学校は朝礼での「前へならえ」、朝の教室での「起立」「礼」「着席」といった作法を教育する場所なので、国旗・国歌への起立が嫌な人は教師どころが生徒以下である。
そもそもスポーツでは国旗掲揚での脱帽や起立などはよくあるし、日本はビジネスマナーだの品格だの社会人の常識だの一々作法にうるさい国である。
長野五輪で里谷多英は表彰式のとき、日の丸掲揚、君が代演奏のときに脱帽しておらず、あれが別の国の国旗・国歌の場合であれば問題になっただろう。

また、日の丸・君が代を拒否する人は日の丸・君が代を拒否しているのか日本の国旗・国歌を拒否しているのか、はっきりしない。
日の丸・君が代を拒否している人たちは、別の旗と歌を日本の国旗・国歌として提案して、国会議員に頼んで、国会で提出してもらえばいい。現行の国旗・国歌法はそういうシステムでできた。
日本の国旗・国歌を拒否している人たちは、日本から出ていくか、日本国内の中華学校や国際学校、朝鮮人学校にでも移ればいい。あるいは儀式だけ缺席すればいい。被災者の中には卒業式だけでもやりたいという人も多かっただろう。それを拒否するのだから学校のシステム自体が合わない人たちであろう。

1999年に国旗・国歌法ができる前、日の丸・君が代拒否はは「日の丸・君が代は国旗でも国歌でもない」と言っていたはずだし、「日の丸・君が代を国旗・国歌とする法的根据(根拠)がない」と言っていた。だから国会でその法的根据が制定されたのである。この場合、日の丸と国旗として、君が代を国歌として推す人たちの案が国会で採決されたから今の国旗・国歌法があるのだろうが、では日の丸と君が代を拒否した人は別の旗と歌による別の国旗・国歌法案を出したのかどうか疑問だ。出さなかったか、出して否決されたかどちらかであろう。

今の日本国憲法は「国民」に基本的人権を認めているだけで、この「国民」がどこの「国」の「民」か明記されていない。

日本国憲法の「国民」であるから日本国民の意味だと解釋すれば、憲法の字面から解釋すれば日本では他国民には人権を保証していないことになる。こんな缺陥憲法は即刻改正または破棄すべきであるが、外国人の人権を守ろうとする人たちが改憲を主張した話は聴かない。

日の丸・君が代を拒否する人が日本の憲法に人権を保障してもらえるのは日本国民だからである。日本国民という立場から抜け出そうとしない人たちがその立場のシンボルにケチをつけているのだから矛盾している。学校を退学しようとしない中学生や高校生が学校に通って暴れて反撥しているようなものだ。
尾崎豊が「15の夜」で「♪学校や家には帰りたくない」「♪盗んだバイクで走りだす」と歌ったが、国旗・国歌を拒否する教師も尾崎豊の歌の主人公と似たような人たちだ。
なお、尾崎豊は「♪落書きの教科書と外ばかり見てる俺」と歌っており、教科書を落書きノートにして授業中も「心ここにあらず」だったようで、例えば歴史教科書に何が書かれていようといまいとそういう「生徒」には関係ないことだ。

いずれにしろ、国旗・国歌への起立命令が合憲となった以上、起立命令の拒否を合憲にするには現憲法下で訴訟などするより、憲法そのものを改正するほうが確実である。国旗・国歌への起立を嫌がる人はなぜ憲法改正案を出さないのか不思議である(下注釋)。

憲法を改正しなくても国旗・国歌法の改正は手続き上は可能である。現行の国旗・国歌に不満の人は代案を出すのが筋だ。
もし假に日本で日の丸でない旗が新国旗となって、君が代でない歌が新国歌となった場合、それら新しい国旗・国歌を認めない人たち(例えば今の日の丸・君が代を国旗・国歌として支持する人たち)が新国旗・新国歌への起立を拒否した場合、今の最高裁の判断ではそれでも合憲である。

日本国民の権利と義務を定めた憲法が日本国の国旗・国歌への起立を合憲とするのは当然である。

@kyojitsurekishi 小生の考えでは、例えば、もし今の学生が「反原発」を主張しようと思うなら、「運動」なんかやるより勉強して就職して代替エネルギーの研究をしてノーベル賞を目指せばいいはずだ。
13:12 - 2014年11月16日


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2011年5/31 5月

関連語句
沖縄 基地 国旗 代案
#okinawa #衝繩 #冲绳 #沖縄県知事選挙(twitter)


注釋
なぜ憲法改正案を出さないのか不思議である
日本国憲法における「国民」がどこの国の国民でも問わないなら「国民」と書かずに「全人類」と書くはずだ。今の憲法は「国民」に参政権を認めていてその「国民」が日本国民だとすると、もし在日外国人が日本で参政権を持とうとしたら、やはり憲法を改正するのが筋である。
自衛隊に関しても国旗・国歌と似たことが言える。自衛隊が合憲ならその点について憲法を改正する必要はない。改正するなら自衛隊の存在でなく集団的自衛権などの活動内容に関することになる。また、自衛隊が違憲であれば、現行憲法のままで自衛隊を廃止するか、自衛隊を残して憲法を改正するかどちらかの道以外にない。だから理論上、自衛隊を合憲とする人たちは護憲派であるはずで、自衛隊を違憲とする人たちは自衛隊を存続するなら改憲を主張するはずだ。しかし、なぜか自衛隊合憲派と改憲派が同種のように見られ、自衛隊違憲派が護憲派であるように見られている(ように思う)。

少なくとも、国旗・国歌への起立が合憲である以上、国旗・国歌への起立を拒否する人にとって今の憲法が敵なのだから早く改憲案を出したらどうだろうか。もっとも多数に支持されないと改憲案は否決されるし、国旗・国歌への経緯はどこの国でも普通だから、国旗・国歌を嫌がる人たちがどこの国に帰化しても同じような問題がつきまとうだろう。


参照
尾崎豊について補足5 - Yahoo!ブログ
近現代~未来(2011年5月)