「名刀〔電光丸〕」においてのび太の少年時代は20世紀、1975年ごろと假定。

 

名刀「電光丸」(小学四年生 1975年02月号)

のび太は1964年生まれ

🐞11巻、大全集4巻

 

劇中、ドラえもんは1621年の船島(ふなしま=巌流島の別名)に行って武蔵と小次郎の対決を見ると言っていたが、決闘そのものは1612年(慶長17年)であったから完全にドラえもんのミスであった。このとき、超空間を移動中にのび太がタイムマシンの上で暴れたため、時代と場所がずれ、ドラえもんがさらに10年以上過去の時代についてしまった。ここでのび太とドラえもんが出会った宮本武蔵はまだ若く、小次郎と戦う前だったらしいので1612年より前の武蔵だったことになる。もちろん、1621年の時代に着いていたら巌流島の対決は9年前のできごとで人々の話題になっているだけだっただろう。のび太が暴れたことで、ドラえもんとのび太は決闘前の時代に着くことができたわけだ。

 

普通に考えるとドラえもんとのび太はこのような時間の流れの中で移動したと思われる。

 



┃江戸初期(推定1610年前後数年)
┃┌(3)のび太、ドラえもんが若き日の武蔵と出会う
┃↑↓
┃↑(5)のび太とドラえもんが武蔵と別れる
┃↑↓時間移動
┃↑↓
┃↑↓約365年後
┃↑↓
┃↑↓20世紀(1975年ごろ)
┃↑↓_(1)昼、ジャイアンがのび太に午後4時から剣道の試合を申し込む
┃└↓←(2)ドラえもんとのび太がタイムマシンで江戸時代初期へ
┃_↓_(4)夕方4時、決闘の場所にのび太は現れず
┃_↓_↓
┃(6)夜になってのび太が約束の場所に現れ、ジャイアンは風邪で棄権

 

どう考えてもジャイアンがのび太と決闘できなかった理由は江戸時代初期に長居したからではなく、ドラえもんとのび太が20世紀に戻る際の時間設定によるものだ。
武蔵の時代(西暦1610年前後)の日本でドラえもんとのび太がどれだけ長く過ごしたところで、ドラえもんとのび太が現代に帰還する際に、約束の日の午後4時の前に戻ればよかったのである。
劇中ではドラえもんとのび太が江戸時代の日本にいる話の途中で、現代の日本でのび太を待っているジャイアンの描写が入っていたが、過去と現代で時間が同時進行することなど考えられない。

 

そこでドラえもんがタイムマシンを使うことで時間軸が2種類できると假定する。

 

┌1975年ごろ
│___┌推定1610年前後数年
┃←←←┃約365年前
▼___▼
20世紀_江戸初期
┃○__┃_(1)20世紀某日昼、ジャイアンがのび太に午後4時からの剣道の試合を申し込む
┃└→→┃┐(2)ドラえもんとのび太がタイムマシンで江戸時代初期へ
┃___┃↓(3)江戸時代初期、のび太、ドラえもんが若き日の武蔵と出会う
┃___┃↓(4)20世紀某日夕方4時、決闘の場所にのび太は現れず
┃┌←←┃┘(5)江戸時代初期、のび太とドラえもんが武蔵と別れる
┃↓__┃
┃○__┃(6)20世紀某日の夜、のび太とドラえもんが
▼___▼_決闘の場所に到着、ジャイアンは風邪で棄権

ドラえもんのタイムマシンはどういうわけか、こういう構造になっているようである。
映画『のび太の恐竜』ではドラえもんがタイムマシンの故障を隠すため、のび太たちに「白亜紀でどれだけ長く過ごしても、戻るときは出發した当日の時間に戻ればいい」と言っていた。これを応用したのが「無人島へ家出」であった。これは普通はおこなわれない手法なのだろう。

 

2012年は巌流島の決闘から40周年の年である。

 

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