秀吉が母・なかと再会。秀吉の母はのちの大政所である。
第7話の清洲会議でなかが江と対面したとき、なかは秀吉を「秀吉」と呼んでいたと思うが、「ヒデヨシ」でなく「ヒヨシ」だったか。
ビデオを確認すると清洲会議では、なかはおねに「秀吉に言うてくだされ」と言っており、自分は農作業に向いていると言っていた。そして、なかは江に「秀吉の母、なかにございます」と言っていた。
江に話すときは「秀吉の母」でいいが、おねに話すときは「日吉」または「藤吉郎」のほうが自然ではなかろうか。
北政所が秀吉の妻になったのは1561年。秀吉の名が日吉丸から藤吉郎になったのはその前ではなかろうか。

『おんな太閤記』では大政所は一貫して秀吉を「藤吉郎」と呼んでいたはず。
藤吉郎の前は日吉丸だったので確かに母親が秀吉を「ヒヨシ」と呼ぶのは納得できるが、では「藤吉郎」とは呼んでいなかったのか。

この第16話の時代設定は1585年で茶々は満16歳、数え年17歳。お初は満15歳、数え年16歳。江は12歳、数え年13歳である。上野樹里でなくても、さくらまや(1998~)が演じてもよさそうな役である。

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2011年5/4 5月