キャンディーズは1973年デビューなので桜田淳子(1973年デビュー)や麻丘めぐみ(1972年デビュー)とほぼ同期である。
キャンディーズの解散は1978年であった。

 

1978年生まれは2011年で33歳なので、田中好子との共演者のうち、2011年で32歳以下(特に20代)の俳優はキャンディーズ解散後の田中好子しか見たことがないことになる。
『筆談ホステス』の北川景子(1986~)や『正義の味方』の山田優(1984~)、『家なき子』の安達祐実(1981~)は田中好子が藝能界に復帰してから生まれた世代である。
『ちゅらさん』の国仲涼子(1979~)はキャンディーズ解散の翌年に生まれた。
こういった共演者は実体験では女優としての田中好子しか知らないはずだ。

 

 

キャンディーズとしての活動は1973年秋から1978年春までの4年半で、結成が1972年だったからキャンディーズとしての活動は5年か6年ほどである。
一方、田中好子が女優として活動していたのは1980年から30年近い。キャンディーズの活動期間の6倍であった。
それでもスポーツ紙などでは圧倒的に「元キャンディーズのスーちゃん」の訃報という形での報道が中心であった。
一方、告別式でインタビューに応じた藝能人の仲で、キャンディーズ時代からの歌手仲間は岩崎宏美と堺正章くらいで、あとは俳優業での共演者が多かったようであり、堺正章も『ちゅらさん』での共演者でもあった。写真を見ると野口五郎も参列したらしい。
1970年代に活躍し、今でも現役の歌手は多いのだが、あの通夜と告別式では音楽関係者の参列が少ないように見えたのは報道のせいか。
報道を見る限り、ピンク・レディーのミーとケイはキャンディーズを偉大な先輩として尊敬していたとするコメントをしてはいるが、通夜と告別式にでたようには見えない。森昌子は被災地に歌を届けていた。

 

 

キャンディーズは『みごろ!たべごろ!笑いごろ』では伊東四朗&小松政夫のコンビと共演し、『8時だヨ!全員集合』ではドリフターズと共演したが、小松政夫は別のときにインタビューに応じ、伊東四朗がインタビューに応じていたのに対し、ドリフターズの面々はこの件では4月中の時点で取材に応じていない。
バラエティ番組で共演したドリフターズのメンバーがコメントもしていないようなのはどうしたのか。萩本欽一はどうしたのか。『ザ・ベストテン』で何度も会っていたはずの黒柳徹子も参列したようには見えない。

 

 

一方、テープを投げて田中好子を見送った「全キャン連」のメンバーはスポーツ報知によると2200名。
キャンディーズのメンバー以外では、むしろファンたちがキャンディーズのメンバーとしての歌手・田中好子の仲間だったと言えよう。

 

 

「春一番」は春になると毎年流れる歌だが、歌詞にあるキーワードは「♪もうすぐ春ですね」であり、キャンディーズ解散前の最後のシングル「微笑がえし」では「♪春一番が~」という歌詞で始まる。

 

 

田中好子は『闇を斬る!大江戸犯科帳』に出演しており、また、『大地の子』では主人公の母親役を演じている。

 

 

一般紙では3人とも「~さん」だが、日刊スポーツでは伊藤蘭、田中好子、藤村(現・尾身)美樹のうち、「伊藤蘭」だけ呼び捨てで、「田中好子さん」と「藤村美樹さん」だけ「さん」がついていた。この理由を推測すると、伊藤蘭が現役の藝能人であるためで、日本の藝能マスコミでは藝能界を引退した元タレントや故人となったタレントは「~さん」で呼ばれる慣習がある。「山口百恵さん」は引退しているから敬称で呼ばれる。また「夏目雅子さん」「岡田有希子さん」「尾崎豊さん」は故人となったのでこうなるわけだ。

 

 

田中好子は1956年4月8日生まれ。沢尻エリカ(1986年4月8日~)より30歳年上だ。
4月8日は釋迦の誕生日とされる灌佛会である。

 

 

藤村美樹は田中好子へ向けた弔辞で「~(田中好子と関係が深かった故人数名)と会えましたか?」と言っていた。不謹慎ながらここで宗教的な面で少し考えてみる。
告別式は現世の人間が故人に別れを告げる儀式であろう。「葬儀、告別式」と言われるので本来、告別式は葬儀とは別のはずだが、日本では事実上、一体化しており、これらの儀式をしなかった著名人でも「お別れの会」があって、これが事実上の告別式となることが多いようだ。もし佛教の考えを告別式に当てはめると、その式が終わって遺体が荼毘(だび)に付されてやっと故人の「魂」があの世に行くのであろうか。その場合、弔辞が読まれた時点で故人の「魂」は遺影や棺のあたりをさまよっていることになるのだろうか。すると弔辞では「もうすぐ天国(佛教では極楽)にいる~さんたちと会えますね」と言うのが「正しく」て、「~会えましたか」と言うのは「気が早い」ことになるのだろうか。宗教的には告別式の途中の段階で故人の魂が「あの世」に言っているか(つまり「成佛」しているかどうか)よくわからない。

 

 

1709年、徳川綱吉が没したとき、家宣は綱吉の葬儀より先に「生類憐みの令」を廃止したらしい。綱吉は「憐みの令」を自分の死後も残すよう、遺言を残していたらしいが、宗教的に考えると、綱吉の霊がまだ現世の近くに残っているときに家宣は綱吉の遺言を却下した(またはそういう解釋になる)可能性がある。一説によると、綱吉が「憐みの令」を出した理由の一つは「綱吉が前世で殺生をしたから」という僧のことばを母親が鵜呑みにしたかららしいが、その宗教的な理由と比べると、あとを継いだ家宣の判断は真に合理主義的である。もっとも正徳の治で家宣を補佐した新井白石が合理主義者だったのかも知れない。

 

 

4月8日の灌佛会の日に生まれた田中好子はメッセージの最初に東日本大震災の被災者にことばを送っていた。今思うと田中好子が女優として出ていた映画やドラマの代表作には『黒い雨』『大地の子』『家なき子』『0からの風』など社会的メッセージのある作品が多いように見える。

 

 

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2011年4/25前後 4/25 4月