もともと菅総理が「大震災には与野党を問わず挙国一致で対応すべきだ」という趣旨の談話をしたのを、マスコミが勝手に「大連立を示唆」という形にして、谷垣総裁が「よほどの大義名分がないと大連立はない」と言ったのに対しテレビ関係者が「今はそのよほどの大義ではないか」と言ったりして、マスコミが勝手に「大連立」の流れを作ろうと騒いでいるだけである。
Y!Japan 自民 大連立 否定

 

1993年、細川政権(日本新党、新生党、さきがけ、社会党、民社党、社民連、公明党が与党)の誕生で自民党が初めて下野した。
次に羽田内閣のときには与党で「改新」を旗揚げしたことに反撥した村山社会党が与党から抜け、さきがけも閣外協力に。これで自民党と社会党と共産党がすべて野党という事態が初めて生じた。2010年に社民党が鳩山民主党政権から抜けたときも自民党と社民党と共産党が野党となったので、これで2度目である。
Y!Japan 自民 共産 共闘

 

羽田内閣は少数与党内閣となり、初めから短命で、記者会見でも記者は少なく、初めから「短命内閣になりますが」との質問が出た。
ドイツの首相から「1年おきに新しい首相と友だちになるのは疲れるので長くやってください」と言われたらしい。

 

この時期になるとマスコミでもどの党が与党で、どの党が野党かわからなくなり、「や党」と「よ党」の間という意味で「ゆ党」(下注釋)という言い方も出た。
一貫して野党だった共産党が当時の政局を批判していたと思う。
Y!Japan 野党 与党 ゆ党

 

その後、新生党は公明党、民社党、社民連、元自民党の海部俊樹を含めた新進党となる。

 

1995年の阪神・淡路大震災の時は村山政権(社会党、自民党、さきがけが与党)で、自衛隊の出動も遅れたようで、小沢一郎は野党として「日本社会党は自衛隊の災害時の出動に反対していたから米軍の出動に賛成するわけがない」として社会党がいる政権では非常時の対応が遅れると批判していた。

 

その後、自社さ政権の首相は自民党の橋本龍太郎となり、さきがけの菅直人が厚生大臣となり薬害エイズ(エイヅ)問題で活躍。
社会党は旧敵・自民党と組んで一度は政権政党になったが、橋本内閣で捨てられた格好になり少数政党となった。

 

その後、小沢一郎の新進党が分裂して、小沢グループは自由党になり、新進党から脱退した公明党が復活。
羽田孜は先に民主党に入ったが小沢一郎が民主党に入るのはもっとあとのことであった。
橋本内閣のあとの小渕内閣は自由党、公明党と組んで、国旗・国歌法などを成立させた。

 

その後、小沢一郎の自由党が再び下野し、のちに民主党と合流した。

 

菅内閣では大震災の前から、以前の敵を内閣に入れるような手を使ってきており、政治の敵味方がころころ変わる状況が続いていた。
自民党にとって大連立は利益がないということであろう。

 

民主党政府が震災復興の必要な法案を出した場合、自民党は与党であろうと野党であろうと、法案の同意すれば賛成、同意しなければ反対でいいわけで、別に大連立は必要ない。子供手当や安全保障で対立していたのに大震災を理由に与野党が組むのは政治の裏切りであろう。

 

夜11時35分ごろ、地震。
地震情報によると宮城県北部で震度6、東京23区と多摩地区で震度3。

 

前後一覧
2011年4/7 4/7前後

 

関連語句
野党 与党 ゆ党

注釋
「ゆ党」
五十音のヤ行が「や・ゆ・よ」で「ゆ」が「や」と「よ」の間にある。
「ゆ党」とは与党と野党の間だから、与党の中の反主流派(連立与党の一員ながら総理や与党執行部に否定的)である政党か、野党でありながら与党と主張がそっくりである政党、または閣外協力の政党のことだろう。
ネットで検索すると「癒着」の「癒」を使った「癒党」という感じも当てられている。
なお、ヤ行は厳密には「や・い・ゆ・え・よ」であり、ヤ行の「え」は「イェ」という發音だったと思われる。
└→漢字論原点回帰II>ヤ行「や・い・ゆ・え・よ」は本来「ヤ・イ・ユ・イェ・ヨ」

参照
近現代~未来(2011年4月)