オズマの見えないスイングは本当に大リーグボール(以下「大LB」)2号に通用しないのだろうか。
オズマが金田正一のスローボールを打ったとき(1969年前半戦)、ボールが本塁上にさしかかってからオズマがスイングをしても間に合った。
それなら消える魔球は本塁上で姿を現すのだから、見えないスイングで打てそうなものだ。
Y!Japan 飛雄馬 大LB

 

 

大LB1号のときは、ボールが本塁上に来てから打者がスイングを始めても振りおくれるという前提があった。オズマがそのために見えないスイングで大LB1号を打ったのは1969年前半戦の時期である。

 

 

 

ところが大LB2号の後期にはその前提はなくなり、左門は後楽園球場での非公式の対戦(1970年自主トレ期)で、大LB2号が本塁上に来るまで何度もスイングを繰り返していた。
1970年の開幕直後、伴が2号を打って投飛に終わったとき、花形が2号を三塁走者(田淵)の協力で打ったとき、帽子落とし作戦で打ったとき、一本足打法で打ったとき、さらに野村が70年球宴で帽子落としで2号を打ったとき、アルトマンが水まき作戦で打ったとき、いずれもボールが本塁手前に来てから打者がスイングしていた。

 

 

 

これでは見えないスイングは不要であろう。
また、オズマがカージナルス時代に大LB1号と対戦した1968年秋(シーズン終了直前か直後)、オズマはバット落としのあとで、バット投げ作戦を試みた。これはセカンドフライに終わったが、大LB2号に対してバット投げを試みれば、消える前のボールにバットをぶつけ、場合によってはヒットになった可能性がある。

 

 

 

花形はヤクルトに入団した1977年から79年までのいずれかの時期(『新巨人の星II』の時代設定)、大LB打倒ギプスの特訓で、オズマのような2段打ちで蜃気楼ボールを打った。これはツバメ返し打法。
花形は阪神時代の1969年の前半戦でオズマ打法を真似たことがあるが、あのときツバメ返し打法を試さなかったのは68年秋にシーズン中でありながら入院した悲劇を避けるためか。
オズマの1号打法と花形のツバメ返し打法はよく似ているのだろう。花形が見えないスイングを再現できるようになったかどうか不明である。

 

 

 

『新巨人の星II』の最終回で星飛雄馬は大LB左1号、2号、3号、右1号(蜃気楼)の4種類を投げ分けた。
もしこの時期から約10年前の1968年の時点で飛雄馬が4種類の魔球を使い分けていたら、飛雄馬はもっと勝ち星を稼げたはずだ。バットに当てる魔球都バットをよける魔球、さらに消える魔球と分身する魔球を投げ分ければ無敵だろう。例えば花形やイズマが1号を打とうとしていたときに、星は打者の裏をかいて3号を投げてもよかったのである。3号も下手投げにする必要はなく、上手投げでバットをよける魔球を投げるなど、星飛雄馬には可能だったはず。
星飛雄馬が大LB1号を使っていたのはもっぱら1968年前半戦から69年前半戦までの1年間であったが、バットに当てる魔球を投げていれば、バットをよける作戦も考えつきそうなものだ。

 

 

 

1969年夏、大LB1号がオズマに打たれたときになって川上監督は「打者の動きを予測したらボールをバットに当てずに打者を三振に打ち取る」という策を思いついた。しかし飛雄馬はすでに2号を作る練習に入っており、監督のアイデアは頓挫した。70年の開幕戦、川上は星に1号を投げるよう命じたが、伴が背面スイングで連続ファウルにした。ここで「予測して三振に打ち取る」策を採用してよさそうなものだった。
アニメの『巨人の星』では1970年夏(8月以降)から秋、星飛雄馬が大LB3号で連勝していたとき、オズマは3号を「1号の逆」と推理したが、これは間違いだった(171話「かえってきたオズマ」~172話「オズマの死」)。一徹も3号を「1号の逆」と読んで、伴に大根切りを命じたが、やはり三振に終わった(174話「勝利の若獅子」)。

 

 

 

前後一覧
2011年4/3 4/3前後 4月

 

 

 

関連語句

大リーグボール 1号 3号 逆 オズマ
大リーグボール [1] … [3](タイトル)
大リーグボール(内容) 大LB [1] … [18](〃)


参照
アニメ『巨人の星』第78話「鬼のグラウンドキーパー」
スポーツ(2011年4月)