この場合、仕事人は吉良邸に潜入、他の住人を傷つけず、吉良上野介を暗殺し、吉良は高齢による急死として記録されただろう。
吉良の首を目当てに住人を殺傷した赤穂浪士47名は野蛮である。

『必殺忠臣蔵』では赤穂浪士の殺害した吉良が替え玉で、元禄の主水に仕事を依頼したらしいが、もし吉良の縁者が主水に仕事を依頼していたら、仕事人が大石を仕置し、切腹に見せかけていただろう。むしろそのほうが仕事人らしい仕事だったかも知れない。

なお、元禄の主水は、もし1702年で42歳と假定すると1701年で1歳ということになる。
文政の中村主水はシーボルト事件のあった1828年で48歳と假定すると1781年で1歳。元禄の主水と80歳差である。
天保~嘉永の主水はアヘン戦争の終わった1842年で42歳とすると1801年で1歳。文政の主水より20歳若かった。1851年に水野忠邦を暗殺した主水がこの主水だったとすると当時主水は51歳だったことになる。
幕末の主水は1860年に井伊直弼を暗殺したときに40歳だったとすると1821年で1歳。天保~嘉永の主水よりさらに20歳年下だ。

幕末の主水は駕籠の外から井伊大老を脇差しで刺殺し、追ってきた武士2名を政と影太郎が始末した。
一方、その直後に駕籠を襲った水戸と薩摩の浪士たちは駕籠の護衛の武士たちを斬りまくって井伊大老の首をはねた。浪士たちが初めから仕事人に依頼していれば、犠牲者は少なくてすんだはずだ。

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2011年3/29 3月