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『歴史の意外な真相』(株)アントレックス EntreX Inc.

この本の内容を紹介。サブタイトルに必ず「!?」がついているのでこの本の記述自体が憶測の産物である。

桶狭間の戦いは信長の奇襲ではなかった!?(12ページ)
これについては「専門家の間では、この戦いは奇襲ではなかったというのが定説になっている」とあるが、所詮は「専門家の間」の「定説」であって誰もその場を見たわけではない。『信長公記』では今川義元は予想外の突撃に浮足立ったその隙に敗れたのであって、奇襲は江戸時代に書かれた『信長記』によるもの。この『歴史の意外な真相』ではあとで書かれたほうが脚色だとしているわけだが、『信長公記』でわからなかったことがあとで判明した可能性もある。

長篠の戦いでの鉄砲の三段打ちはなかった!?(14ページ)
これも「~と考えられる」「~創作である可能性が高い」と書いてあるだけ。単なる憶測だ。

信長はドクロの盃で酒を飲んでいない!?(16ページ)
これは大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で採用されており、信長は死者の頭蓋骨を前に酒を酌み交わし、戦没者に哀悼の意を示しただけであった。「現代人の感覚とは違うということは考慮に入れる必要がある」というのは確かだ。

信長の暗殺は千利休が仕組んだ!?(18ページ)
これも『江』でそれに近い描写があり、信長からの仕打ちに耐え切れなくなって手が震える病気になった明智光秀が千宗易(利休、演:石坂浩二)の茶室を訪れ、カウンセリングを求めた。利休は光秀に「天下でも取る気構えでいたらどうですか」とアドバイスしていた。

天王山はさほど重大な合戦の舞台ではなかった!?(20ページ)
これも「~と考えられている」というだけ。それに実際はどうだったかなど余り重要ではない。

豊臣秀頼の父親は秀吉ではない!?(22ページ)
これも「秀頼の父親は、秀吉ではないのではないかとの説が根強くささやかれている」と書いてあるわけで、所詮は「噂」である。

秀頼は生き延びて天草四郎の父となった!?(24ページ)
これについては「大坂城落城の直後から、秀頼は生き延びているのではないか、という噂がささやかれていたという」とある。要するにこの本で否定している「信長がドクロの盃で酒を飲んだ」も「噂」なら、この本の書いている「真相」も所詮は「噂」である。

大坂夏の陣の豊臣方に家康の隠し子がいた!?(26ページ)
これは小笠原権之丞(1589?~1615)のことで、信憑性が高い。

徳川家康は武田信玄の隠し子だった!?(28ページ)
松平家の血統を否定する見解である。この本では「愛知や静岡の一部地域では『家康は信玄の隠し子だった』と伝えられているという」とある。所詮は傳聞(=伝聞)である。内容を読むと徳川と武田の密接な関係から暗示されるもので所詮は推測の産物だ。意外なのは「噂」だからであって、ましてや「真相」でも何でもない。

家康は途中から影武者とすり替わっていた!?(30ページ)
「明治時代になると、家康は影武者とすり替わっていた。という説がいくつも存在するようになる」とある。この『歴史の意外な真相』の作者は「桶狭間での信長の奇襲」については江戸時代からの記録なので信憑性が薄いと言いながら、「家康の影武者説」については明治以降の説を採用しているのだから一貫性がない。
影武者徳川家康』という作品があり、徳川家康の影武者説に基づいている。

ナポレオンは「余の辞書に不可能はない」と言っていない!?(32ページ)
└→『歴史の意外な真相』で書かれてある「真相」について(18~19世紀西洋編)