『巨人の星』では1970年開幕(下注釋)は4月上旬であった。

 

『ドカベン プロ野球編』で1995年開幕は4月1日であった。
Y!Japan 野球 開幕 4月12日
Google プロ野球 開幕 3月 4月 ドーム

 

もともと開幕までのプロ野球は1月自主トレ、2月キャンプ、3月オープン戦、4月開幕だった。
それが3月下旬開幕になったのはクライマックスシリーズ導入、試合数増加、ドーム球場の普及で、外が多少寒くても屋内で試合ができるようになったからだろう。

 

1995年当時は1シーズン130試合だったと思う。
『ドカベン』で日ハムの不知火が近鉄を相手にノーヒットノーランを記録し、ブライアントや中村紀洋も打ち取られた。試合が終わったとき、当時、近鉄にいた坂田三吉が「プロはこれで終わらへんさかいええのや。復讐のチャンスがまだ129試合残っている」と心の中でつぶやいた。ただ、この試合数は西武やダイエー、オリックスとの試合も含んでいると思われるので、日ハムとの対戦数はもっと少なかったはずだ。

 

2011年3月24日夜、TBSの番組ではドカベン香川(下注釋)とブライアントの特集をやっていた。

 

前後一覧
2011年3月

 

関連語句
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注釋
1970年開幕戦
『巨人の星』では前年、1969年秋の神宮球場での巨人の金田正一引退会見では1970年開幕第1戦が金田の引退試合になる予定だったが、劇中では開幕第1戦の巨人×中日戦は雨で中止となり、翌日の試合では金田は解説者だった。
なお、実際の金田の引退試合は開幕前のオープン戦であり、1970年4月2日、対戦相手は金田の古巣・ヤクルトであった。
金田の引退会見で受付をしていた星飛雄馬と伴宙太は半年後の開幕第1戦(巨×中)では敵味方に分かれて対戦していた。
金田正一の400勝は巨人移籍後だったが、それまでの勝利数のほとんどは国鉄スワローズ時代に達成された。
長嶋茂雄は1958年のシーズンから巨人に在籍し、入団記者会見(アニメと「史実」で1957年秋または年末)では星飛雄馬少年の投げた魔送球を目の当たりにした。試合では4歳くらいだった藤村甲子園から将来の対戦を予告された。
長嶋茂雄は1958年にスワローズ時代の金田と対戦、4打席4三振を喫し、そのことを1969年の引退会見で述べていた。『巨人の星』では金田投手の引退会見は後楽園でなく神宮球場でおこなわれたが、金田が巨人の前にスワローズにいたことを考えると、ふさわしい会場であった。

 

ドカベン香川
1961年12月生まれなので1977年4月から1980年3月まで高校生だった。1977年4月から78年3月まで高1、78年4月から79年3月まで高2、79年4月から80年3月まで高3。高3で迎えたドラフトは79年秋であったはずだ。
漫画の『ドカベン』の山田太郎は1977年当時が高1秋の関東大会から高2春のセンバツまでで、春の甲子園の途中から78年になり、土佐丸の犬神が殿馬の打球を捕ってラッキーゾーンに落下、ホームランとなって明訓が勝利した話は1978年に描かれたはずだ。次の高2夏の予選の時期に実世界では1979年になっていた。『ドカベン』の原作における明訓高校で1979年度当時、高校3年だったのは山岡、北の学年である。
なお、1961年6月15日生まれの岩崎良美と1962年3月生まれの松田聖子は香川選手と同学年である。松田聖子は1980年4月に「裸足の季節」で歌手デビューしたとき、18歳で、高校卒業直後だったわけだ。
『1リットルの涙』の原作者・木藤亜也氏は1962年7月生まれなので学年が1年下になる。

参照
2011年3月(古代史、藤子、時代劇、近現代~未来、スポーツ、世界史)