大野敏明氏が「歴史ドラマのウソホント」で『江~姫たちの戦国~』を取り上げるようになった。
Y!Japan 歴史ドラマのウソホント 江

これを見て驚いたのが、劇中で大竹しのぶが演じている北政所こと高台院の名前が劇中で「おね」になっているのことについて大野氏が誤りとしていることで、大野氏は「ねね」が正しいとしている。
30年前の『おんな太閤記』では佐久間良子が北政所を演じ、当時は「ねね」であった。当時、何かの本で「『ね』か『おね』が正しい」という記述を読んだ記憶があり、それで『江』では「おね」になっている。
だから以前は「テレビで『ねね』なのは誤りで『おね』が正しい」となっていたのだが、大野氏によると「テレビで『おね』なのは誤りで『ねね』が正しい」という逆の話になっている。
『おんな太閤記』がテレビ東京で放送され、仲間由紀恵が北政所を演じたときも「寧々」であった。
こうなると「史実」というのは時代や個人によって何度も変わることが改めてわかる。

大野氏は「『ねね』という名だったという説が有力」としているが、どこの人たちの間でいつから「ねね」が有力になったのだろうか。
結局「史実」も「有力」な説というだけで推測の域を出ない。

「史実」でも北政所の名前に「ねね」と「おね」の2種類の説があり、時代劇でも「ねね」と「おね」の2種類の解釋があるというだけの話だ。
Y!Japan 北政所 ねね おね

ところで『おんな太閤記』では、秀吉の母・なか(演:赤木春恵)が秀吉(演:西田敏行)を「藤吉郎」と呼んでおり、これは秀吉の名が木下藤吉郎だった時期であれば当然として、さらに秀吉が「秀吉」を名乗ってなかが大政所になっても、なかは相変わらず秀吉を「藤吉郎」と呼び続けていた。
ところが今回の『江』では、なか(演:奈良岡朋子)は江と出会ったとき、秀吉を「秀吉」と呼んでいた。秀吉の名が「藤吉郎」から「秀吉」になった段階で、大政所も息子を「秀吉」と呼ぶようになったのだろうか?

大野氏は5月25日に第16話「関白秀吉」に関する評論を書いた時点で、「このドラマは史実的には荒唐無稽、コメディータッチで、見るに堪えない。これ以上はドラマを見る気がしないので、『江』についてはこれで終わりにする」としている。

Y!Japan 歴史ドラマのウソホント 江 11
【歴史ドラマのウソホント】「江」(11) 「天皇」は明治以降に一般化

第14回「離縁せよ」(2011年4/17)、第15回「猿の正体」(4/24)、第16回「関白秀吉」(5/1)について解説しており、時代設定は第14回のそれが1584年(江12歳)、第15回と第16回が1585年(江13歳)を扱っているらしい。

自分の学んだ歴史を事実だと確信し、ドラマを「史実と合っているか」という物差しだけで観ている人はドラマに向いていないのだろう。
私の場合、信長(演:豊川悦司)と市(演:鈴木保奈美)が相次いで退場してからは『江』を観る気が起こらなくなり、それでも3姉妹が主人公だから今後が佳境だと思って録画して早送りしながら観ていたが、5月末にテレビが完全に地デジ対応になって録画も不可能になったので観るのをやめた。ラジカセで音声だけ取れるので、第21話を録音したが、毎回録音するとカセットテープがかさばるので録音もしないことにする。
結局、小説化された本の「上・中・下」の「中」を購入した。第6章「秀吉」から第10章「秀忠」まで収録されている。

大野氏は「『そんな』は昭和後期からの言葉」としている。
江戸時代の1830年代(1832年以降)を描いた民放の時代劇『八百八町夢日記』では最終回「夢之介最大の危機」で「そんな」という台詞が出ていた。
北町の同心・八田真四郎(演:船越栄一郎)が手柄を立て、榊原忠之(演:里見浩太朗)に「報奨金をいただきたい」と言ったが、奉行は「報奨金などない」と断り、同心は「そんな」と言っていた。

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2011年3/21 3月