1987年の都知事選は中曽根内閣のときで皆が売上税に反対。今では消費税はあって当然。
赤尾敏(大日本愛国党)深作清次郎(反ソ決死隊)のスピーチは毎回楽しみであった。

1991年のときは海部内閣の時代で、内田裕也が政見放送で、英語で自分の経歴を語り、落選したものの、現職と自、社、共による「有力4候補」以外では内田裕也がトップ(つまり5位)だった。
首都東京で「中央対地方」の構図になった。
アントニオ猪木のスポーツ平和党が誕生して間もないころで、湾岸戦争では猪木議員が活躍したようだ。

1995年の都知事選では青島幸男が当選。大阪府では横山ノックが知事になった。
翌96年、『こち亀』の日暮熟睡男(ひぐらしねるお)が目覚めたとき、青島幸男が都知事になったことを両津から聞かされて驚いていた。

1999年の選挙では青島幸男が出馬をせず、石原慎太郎が当選。2003年の選挙でも当選し続投。
2007年の選挙では浅野史郎、黒川紀章も立候補したが、石原都知事再選。

2011年の都知事選では石原慎太郎氏には投票しないことにした。結果は石原都知事の再選。
2011年の都知事選に立候補した人はドクター・中松、山口節生、小池晃、渡辺美樹(一部で「渡邉美樹」表記)であった。

参考になるHP
内田裕也政見放送 全文聞き取り
内田裕也は1939年生まれだが、政権報道では間違えて1999年生まれと言ってしまっている。

前後一覧
2011年2/2 [1] [2] 2/3