民主党を批判していた与謝野氏が民主党の菅改造内閣に入った。
批判はあって当然である。
ただ、石原慎太郎都知事が「日本人は『忠臣蔵』が好きだ」として、与謝野氏を「討ち入りから途中で逃げた奴みたいなもの」と評したのはいただけない。
討ち入りから逃げた元赤穂藩士に無礼である。
Y!Japan 石原都知事 与謝野 忠臣蔵

与謝野氏の入閣は確かに変節ではあるが、赤穂浪士の討ち入りから抜けた元藩士は正しいことをした。
赤穂浪士47名のしたことは吉良邸という人家に押し入り、住民を殺傷し、老人の首を切断した大犯罪である。
このような蛮行を讃美する日本人の大多数は倫理がおかしくなっているのだろう。

毛利小平太は討ち入りに参加するはずが当日に抜けた一人で、1985年の『忠臣蔵』では西郷輝彦が演じ、家族から止められ、大石内蔵助(演:里見浩太朗)が討ち入り後に行進する前に土下座していた。
ここで大石は「私は今度のことで死ぬことより生きることのむずかしさを知った。強く生きよ」と小平太に語った。
1989年のテレビ東京の『大忠臣蔵』では毛利小平太を演じたのが石原知事の息子で今は気象予報士の石原良純であり、小平太は大西結花扮するまゆという女を守って死ぬ展開になっている。
そう、石原慎太郎の息子が「『忠臣蔵』で討ち入りから抜けた侍」を演じていたわけだ。

ちなみにもう一人の息子で政治家の石原伸晃は自民党の東京都支部連合会会長らしい。

2011年の都知事選では石原慎太郎氏には投票しないことにする。

小平太の兄(毛利源左衛門か)が大垣新田藩主戸田氏成(浅野長矩の從弟)に仕えていてその兄に説得されて脱盟した説があるらしい。
1985年大晦日の日テレ版『忠臣蔵』でもそうであった。
そうなると毛利小平太の親族がもし吉良に通報したら、赤穂浪士の討ち入りは失敗に終わった可能性があり、吉良側は見事、犯罪者集団(赤穂浪士47名)を捕まえることができたはずだ。
すると毛利側の親族は赤穂浪士の討ち入りを知って黙っていたことになる。

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2011年2/2 [1] [2] 2/3