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雑学活脳研究会著『知らなほうが幸せな話』(サプライズBOOK、EntreX)で「星一徹は33歳」とする説があり、これは『巨人の星』第1話での初登場時の推定年齢であろうが、原作では作品の中では一徹の年齢についてどこにも言及がない。アニメの「飛雄馬の母」では1944年に一徹に赤紙が来たことになっていて、このとき、すでに一徹は巨人の選手で、しかも妻・春江が妊娠しており、どう考えても20代以上であろう。
第1話は長嶋茂雄の入団記者会見で、実際は1957年の秋から年末の時期でアニメでもそうなっており、原作第1話では1958年の初め。この1957年または1958年で一徹が30歳から39歳までだったとして、それぞれの場合で33歳だったのがいつか検証してみる。

 

 

___┌1957年で39歳の場合
1918_00
1919_↓_00_┌川上哲治と同い年の場合(1920年生まれ)
1920_↓_↓_00
1921_↓_↓_↓_00
1922_↓_↓_↓_↓_00
1923_↓_↓_↓_↓_↓_00_┌1957年で33歳の場合(1924年生まれ)
1924_↓_↓_↓_↓_↓_↓_00_┌1958年で33歳の場合(1925年生まれ)
1925_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_00
1926_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_00
1927_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_00_┌1958年で30歳の場合
1928_10_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_00
1929_↓_10_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1930_↓_↓_10_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1931_↓_↓_↓_10_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1932_↓_↓_↓_↓_10_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1933_↓_↓_↓_↓_↓_10_↓_↓_↓_↓_↓
1934_↓_↓_↓_↓_↓_↓_10_↓_↓_↓_↓
1935_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_10_↓_↓_↓
1936_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_10_↓_↓
1937_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_10_↓ 星一徹がラジオ中継を聞き川上を応援
1938_20_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_10
1939_↓_20_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1940_↓_↓_20_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1941_↓_↓_↓_20_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1942_↓_↓_22_↓_20_↓_18_17_↓_↓_↓ 一徹巨人入団(原作第1話)
1943_↓_↓_↓_↓_↓_20_↓_↓_↓_↓_↓
1944_↓_↓_24_↓_↓_↓_20_19_↓_↓_↓ 一徹に赤紙、春江妊娠(ア161)
1945_↓_↓_25_↓_↓_↓_↓_20_↓_↓_↓ 東京大空襲、春江避難(〃)
1946_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_20_↓_↓
1947_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_20_↓
1948_30_↓_28_↓_↓_↓_24_23_↓_↓_20 一徹が巨人に復帰(原1)
1949_↓_30_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1950_↓_↓_30_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1951_33▼↓_↓_30_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1952_↓_33▼↓_↓_30_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1953_↓_↓_33▼↓_↓_30_↓_↓_↓_↓_↓
1954_↓_↓_↓_33▼↓_↓_30_↓_↓_↓_↓
1955_↓_↓_↓_↓_33▼↓_↓_30_↓_↓_↓
1956_↓_↓_↓_↓_↓_33▼↓_↓_30_↓_↓
1957_39_38_37_36_35_34_33▼32_31_30_↓ 長嶋入団会見(ア1)
1958_40_39_38_37_36_35_34_33▼32_31_30 長嶋入団会見(原1)
1959_↓_40_↓_↓_↓_↓_↓_↓_33▼↓_↓
1960_↓_↓_40_↓_↓_↓_↓_↓_↓_33▼↓
1961_↓_↓_↓_40_↓_↓_↓_↓_↓_↓_33▼
1962_↓_↓_↓_↓_40_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1963_↓_↓_↓_↓_↓_40_↓_↓_↓_↓_↓
1964_↓_↓_↓_↓_↓_↓_40_↓_↓_↓_↓
1965_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_40_↓_↓_↓
1966_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_40_↓_↓ 飛雄馬青雲高校入学
1967_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_40_↓ 飛雄馬高1中退、Gテスト入団
1968_50_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_40 花形が大LB1号を予告HR
1969_↓_50_49_↓_↓_↓_45_44_↓_↓_↓ 一徹が中日コーチに就任
1970_↓_51_50_↓_↓_↓_46_45_↓_↓_↓ シーズン終了後コーチ辞任
1971_↓_↓_↓_50_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1972_↓_↓_↓_↓_50_↓_↓_↓_↓_↓_↓
1973_↓_↓_↓_↓_↓_50_↓_↓_↓_↓_↓ 飛雄馬が日向三高を臨時指導
1974_↓_↓_↓_↓_↓_↓_50_↓_↓_↓_↓
1975_↓_56_55_↓_↓_↓_51_50_↓_↓_↓ 一徹、飛雄馬と再会
1976_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_50_↓_↓ 年末、飛雄馬にギプス提供
1977_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_↓_50_↓ 年末、飛雄馬魔球特訓開始
1978_60_59_58_57_56_55_54_53_52_51_50 大LB右1号完成
1979_61_60_59_58_57_56_55_54_53_52_51 『新~II』(一徹死去?)

 

 

 

 

長嶋の入団会見は1957年秋から1958年新春までのオフ期間と思われる。

長嶋茂雄の入団記者会見

 

 

 

 

1958年で一徹が33歳だと、1944年に赤紙が来たときの一徹が19歳になるが、そこですでに妻子持ちだったとすると尾崎豊の時代でも不良とされたわけで、戦時中では考えにくい。

 

 

 

 

しかもアニメ第48話では星一徹は学校(大学の可能性も)を出て社会人として野球をやっていたときに川上からスカウトされたと言っており、高卒から、あるいは大卒から1年は経過していた可能性がある(『「巨人の星」の謎』)。

 

 

 

 

星一徹が1958年で38歳だと、1944年当時は24歳なので、大学を出て1年か2年という時期になる。星一徹は原作で1942年と1948年に巨人に登録されており、1942年で22歳、早生まれなら大学を卒業した年になる。
河崎実は『「巨人の星」の謎』で現役時代の一徹は川上を「川上」と呼び捨てにして、タメクチで話していたことから、一徹を川上と同い年、生まれは1920年としている。すると原作第1話の1958年当時で一徹は38歳になっていたことになる。
この場合、一徹が33歳だったのは1953年で、『巨人の星』のプロ野球編の飛雄馬は1951年生まれなので当時2歳。この時期の飛雄馬は原作では描かれていないが、春江が病気で他界した話がアニメで描かれ、当時、明子は幼稚園児くらいの年齢、飛雄馬は赤ん坊なので1歳か2歳までとすると計算が合う。

 

なお、『巨人の星』によると1948年、川上はビーンボールを巨人にとって邪道としたが、1977年、長嶋監督は星飛雄馬に左門へのダストボールを命じている。

 

ネットやコンビニ本で「星一徹33歳」などという説が出回っているのをよく見たが、こういうのは情報を鵜呑みにせず、各人が自分で検証することが必要だ。
12:01 - 2014年12月17日

 

 

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