光緒帝(演:張博)の師である楊喜楨が暗殺され、それも西太后が送った靴の中にサソリが2匹入っていたというもの。
これで西太后と皇帝の間に内紛を起こそうとする企みによるもので、関係者は楊喜楨の死を極秘とする。
腹心であった栄禄が西太后から詰問されて暗殺を自白。
西太后は引退して頤和園に移る決意をする。

西太后が頤和園にいたのは1884年から1895年までらしい。
第17話は日清戦争後の話だが、西太后は日清戦争の10年前から頤和園で隠居生活をしていたことになり、頤和園と紫禁城を何度も往復していたのか?

NHKの西太后に関する番組では1889年に西太后が政治の実権を光緒帝(19歳)に譲り、頤和園にったことになっている。

西太后が駕籠で頤和園へ向かう途中、改革派の家臣・順桂が駕籠を止め、天下の一大事なので書状を読んでほしいと言う。
実は順桂は西太后を暗殺しようとしていたのであって、駕籠への直訴が暗殺計画というのは日本の戦国~度時代でも同様だろう(だから直訴は「御法度」とされたのだろう)。

順桂の書状には「蘭婢篡國 禍亂三朝 搏浪一擊 ××天下(お前は国を簒奪し乱世を招いた。天下万民のため成敗する)」と書かれてあった。最後の「××天下」は画面に出なかった。
副音声で確認すると yi3 jin(g)4 tian1 xia4 であった。

順桂は全身にダイナマイトを多数巻いて、西太后と刺し違える覚悟だったようだ。
ノーベルがダイナマイトを發明したのは1866年であり、日本では将軍が家茂から慶喜に代わった幕末。この『蒼穹の昴』第17話の時代設定は日本における明治時代の後期に相当し、1889年とすれば『獅子の時代』の最終回で大日本帝国憲法ができた年だから、清朝末期の人がダイナマイトを持っていても不思議はない。
近くには日本人記者が洋服を着て写真機を持っていた。

行動の是非はともかく、人を罵倒する文でも漢字4文字4行の詩(ただし韻は踏んでいない)になっているところは、さすが中国である。

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2011年1/23 1月