1970年
KC16、文庫9に相当。
多摩川グラウンド(推定)での自主トレでは飛雄馬が伴をしごく。巨人選手はユニフォーム姿で中尾二軍監督もいて、やはりユニフォーム。
阪神の合同自主トレに花形は参加せず。他の阪神選手は阪神のユニフォーム姿で、村山実監督がやはりユニフォームとウィンドブレーカー姿で立っていた。村山監督は花形をこのシーズン、4番に定着させる構想。
記者が「なぜ花形がいないのか」と質問すると監督は「さあ‥‥ね」「その名のとおり自主トレはあくまで本人の自由意志や。監督から参加を強制したら連盟のルール違反やからな」。
花形はそのころ、標高631メートルの六甲山で雪玉打ち特訓。花形も協力者もユニフォーム姿。
左門は九十九里浜で10本の蝋燭の火と波を相手に特訓。ここでも大洋のユニフォーム姿。
後楽園球場での非公式の対決でも星、伴、花形、左門はユニフォーム姿。
キャンプの時期に版が中日に移籍。
KC16、文庫9に相当。
多摩川グラウンド(推定)での自主トレでは飛雄馬が伴をしごく。巨人選手はユニフォーム姿で中尾二軍監督もいて、やはりユニフォーム。
阪神の合同自主トレに花形は参加せず。他の阪神選手は阪神のユニフォーム姿で、村山実監督がやはりユニフォームとウィンドブレーカー姿で立っていた。村山監督は花形をこのシーズン、4番に定着させる構想。
記者が「なぜ花形がいないのか」と質問すると監督は「さあ‥‥ね」「その名のとおり自主トレはあくまで本人の自由意志や。監督から参加を強制したら連盟のルール違反やからな」。
花形はそのころ、標高631メートルの六甲山で雪玉打ち特訓。花形も協力者もユニフォーム姿。
左門は九十九里浜で10本の蝋燭の火と波を相手に特訓。ここでも大洋のユニフォーム姿。
後楽園球場での非公式の対決でも星、伴、花形、左門はユニフォーム姿。
キャンプの時期に版が中日に移籍。
1971年
『侍ジャイアンツ』文庫第1巻。
八幡と番場が鳥居の形の「ノーコン改良兵器」を作成(アニメではトランポリンを改造した物)。
宿舎からそれを見ていた他の選手に対し、武宮寮長が「いつまで正月気分でおるかあ!!多摩川グラウンドへいってとっとと自主トレーニングをはじめーい!!」「オット、その名のごとく自主トレーニングはあくまで個人の意志だからして強制はしないっと」「しませんがねえ………、イヒヒ!」「ただし今年も二軍ぐらしでシーズン後にクビか、はれて一軍に昇格か、それをきめるのは球団の意志でございましてね~~~え」。
この時期、眉月がヤクルトに入り、自主トレに参加。ユニフォーム姿で本塁打を連打。
その後、巨人は宮崎キャンプからアメリカ遠征。
1970年の後半戦、アニメの『巨人の星』でオズマが飛雄馬に「(君たち巨人選手は)ベロビーチに行くだろう」と言っていたのがこれであるが、飛雄馬はすでに1970年師走までに失踪していた。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1970年秋~1971年←時代設定)
『侍ジャイアンツ』文庫第1巻。
八幡と番場が鳥居の形の「ノーコン改良兵器」を作成(アニメではトランポリンを改造した物)。
宿舎からそれを見ていた他の選手に対し、武宮寮長が「いつまで正月気分でおるかあ!!多摩川グラウンドへいってとっとと自主トレーニングをはじめーい!!」「オット、その名のごとく自主トレーニングはあくまで個人の意志だからして強制はしないっと」「しませんがねえ………、イヒヒ!」「ただし今年も二軍ぐらしでシーズン後にクビか、はれて一軍に昇格か、それをきめるのは球団の意志でございましてね~~~え」。
この時期、眉月がヤクルトに入り、自主トレに参加。ユニフォーム姿で本塁打を連打。
その後、巨人は宮崎キャンプからアメリカ遠征。
1970年の後半戦、アニメの『巨人の星』でオズマが飛雄馬に「(君たち巨人選手は)ベロビーチに行くだろう」と言っていたのがこれであるが、飛雄馬はすでに1970年師走までに失踪していた。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1970年秋~1971年←時代設定)
1972年
文庫第3巻。
番場と八幡は飛騨高山で特訓。ここでも番場と八幡はユニフォーム姿。ここで大砲万作と出会う。大砲はさすがに私服。
文庫第3巻。
番場と八幡は飛騨高山で特訓。ここでも番場と八幡はユニフォーム姿。ここで大砲万作と出会う。大砲はさすがに私服。
多摩川グラウンドでの自主トレでも番場と八幡と他の巨人選手はユニフォーム姿。川上監督はスーツ姿。紅白戦を初めようとするが、連盟のルールでは監督が練習を強制してはいけない建前なので、川上監督は「紅白戦でもやるといいんだが」と独り言のように言い、「二軍選手でも紅白戦で活躍すれば一軍の宮崎キャンプ参加の可能性もある」という趣旨の台詞を言い、「一軍でもダメなのは二軍と延岡いきみたいな気もするぞ」と追加。
紅組監督は長嶋、白組監督は王で、「長嶋監督(漫画では「長島監督」と表記)」「王監督」が早くも実現。八幡は白組、番場は紅組だった。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1972年)
紅組監督は長嶋、白組監督は王で、「長嶋監督(漫画では「長島監督」と表記)」「王監督」が早くも実現。八幡は白組、番場は紅組だった。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1972年)
1973年
文庫第6巻。
原作で番場蛮が巨人の各選手を相手に大回転魔球を披露。巨人選手はユニフォーム姿。
このあとのキャンプで星飛雄馬が宮崎の日向三高を臨時コーチした模様(失踪から3年後)。
なお、アニメでは番場が入団した直後で、雪山で大砲と出会ったあと、ノーコン改良の時期。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1973年新春~球宴まで)
文庫第6巻。
原作で番場蛮が巨人の各選手を相手に大回転魔球を披露。巨人選手はユニフォーム姿。
このあとのキャンプで星飛雄馬が宮崎の日向三高を臨時コーチした模様(失踪から3年後)。
なお、アニメでは番場が入団した直後で、雪山で大砲と出会ったあと、ノーコン改良の時期。
└→『侍ジャイアンツ』サブタイトル(1973年新春~球宴まで)
1974年
文庫第7巻。
美波理香が黒潮銀行の頭取の息子と結婚。番場はユニフォーム姿で猛練習。
宮崎キャンプでは番場がハラキリ・シュートで王、長嶋と対戦。
文庫第7巻。
美波理香が黒潮銀行の頭取の息子と結婚。番場はユニフォーム姿で猛練習。
宮崎キャンプでは番場がハラキリ・シュートで王、長嶋と対戦。
1975年
番場蛮は前年の後半戦で故人となり、星飛雄馬は失踪中で、この年の夏から草野球代打稼業。
番場蛮は前年の後半戦で故人となり、星飛雄馬は失踪中で、この年の夏から草野球代打稼業。
1976年
『新巨人の星』文庫第2巻。
自主トレの時期、飛雄馬は伴宙太の自宅でサンダーとともに練習(本当の自主トレ)。伴が巨人の張江廣報担当からの連絡を受け、飛雄馬は宮崎キャンプからテスト生として参加。
『新巨人の星』文庫第2巻。
自主トレの時期、飛雄馬は伴宙太の自宅でサンダーとともに練習(本当の自主トレ)。伴が巨人の張江廣報担当からの連絡を受け、飛雄馬は宮崎キャンプからテスト生として参加。
1977年
『新巨人の星』文庫第3巻。
大リーグボール養成ギプス右投手用を装着して練習しランニングやうさぎ跳びでも遅れていた。ユニフォーム姿。
初めはコーチたちも飛雄馬のギプスを知らず、黒江コーチ(背番号75)が飛雄馬に「星っ、もっと飛ばさんかい!!」「おまえはマイペースで流すほどお偉かないんだぞ!」と苦言。
この時期に花形がヤクルトに入団。
『新巨人の星』文庫第3巻。
大リーグボール養成ギプス右投手用を装着して練習しランニングやうさぎ跳びでも遅れていた。ユニフォーム姿。
初めはコーチたちも飛雄馬のギプスを知らず、黒江コーチ(背番号75)が飛雄馬に「星っ、もっと飛ばさんかい!!」「おまえはマイペースで流すほどお偉かないんだぞ!」と苦言。
この時期に花形がヤクルトに入団。
1978年
『新巨人の星』文庫第6巻。
正月はハワイで特訓。このときは星飛雄馬は私服。現地の人が飛雄馬を江川卓と勘違い。
その後の自主トレでは飛雄馬も柴田も張本も王もユニフォーム姿。長嶋監督もいた。
『新巨人の星』文庫第6巻。
正月はハワイで特訓。このときは星飛雄馬は私服。現地の人が飛雄馬を江川卓と勘違い。
その後の自主トレでは飛雄馬も柴田も張本も王もユニフォーム姿。長嶋監督もいた。
1979年
前年秋からこの年の新春まで「江川事件」があり、小林繁がキャンプに向かう直前に阪神への移籍を言い渡された。巨人球団を希望していた江川は1978年秋のドラフトで阪神から指名され、79年のキャンプ直前に巨人の小林投手と交換で巨人に入った。2011年の新春で喩えると、2010年秋のドラフトで指名された新人選手が、2011年の年明け直後のキャンプを目前にして他球団の先輩選手とトレードされるようなものだ。もちろんこんなことは2011年には起きていないし、これが日常化したらドラフトは骨抜きになる。
前年秋からこの年の新春まで「江川事件」があり、小林繁がキャンプに向かう直前に阪神への移籍を言い渡された。巨人球団を希望していた江川は1978年秋のドラフトで阪神から指名され、79年のキャンプ直前に巨人の小林投手と交換で巨人に入った。2011年の新春で喩えると、2010年秋のドラフトで指名された新人選手が、2011年の年明け直後のキャンプを目前にして他球団の先輩選手とトレードされるようなものだ。もちろんこんなことは2011年には起きていないし、これが日常化したらドラフトは骨抜きになる。
1979年新春、星飛雄馬がどう自主トレに参加していたか不明。
『巨人のサムライ炎』では江川卓の投球練習に水木炎が乱入。長嶋監督が星飛雄馬を水木と勝負させたらしい。
『巨人のサムライ炎』では江川卓の投球練習に水木炎が乱入。長嶋監督が星飛雄馬を水木と勝負させたらしい。
自主トレというのは実質「義務トレ」であるし、『巨人の星』と『侍ジャイアンツ』では選手は自主トレの段階からユニフォームを着ている。多摩川グラウンドでの合同自主トレならまだしも、雪山や浜辺での特訓でユニフォームを着る理由があるかどうか。
もっとも『ドカベン』の谷津はプライベートでのユニフォームとマスクとプロテクター姿、『一球さん』の真田一球も同様で、試合以外でもヘルメットとユニフォーム姿でいることが多かった。
連盟の規則の話が出たのは1970年以降である。
もっとも『ドカベン』の谷津はプライベートでのユニフォームとマスクとプロテクター姿、『一球さん』の真田一球も同様で、試合以外でもヘルメットとユニフォーム姿でいることが多かった。
連盟の規則の話が出たのは1970年以降である。