___┌1950年生まれ(1970年で20歳、1980年で30歳、2010年で60歳)
1950_00
1951_01
1952_02
1953_03
1954_04
1955_05
1956_06
1957_07 佐山聡誕生
1958_08
1959_09_┌1960年生まれ(1970年で10歳、1980年で20歳、2010年で50歳)
1960_10_00
1961_11_01
1962_12_02 三沢光晴誕生
1963_13_03
1964_14_04
1965_15_05 昭和40年男誕生
1966_16_06 金本浩二誕生(1992年から3代目タイガーマスク)
1967_17_07
1968_18_08_┌1970年生まれ(1980年で10歳、2010年で40歳)
1969_19_09_│ 原作、アニメ『タイガーマスク』開始(~1971)
1970_20_10_00 のちの4代目タイガーマスク誕生(1995年から4代目タイガーに)
1971_21_11_01
1972_22_12_02
1973_23_13_03
1974_24_14_04
1975_25_15_05 昭和40年男10歳
1976_26_16_06
1977_27_17_07
1978_28_18_08
1979_29_19_09_┌1980年生まれ(1990年で10歳、2010年で30歳)
1980_30_20_10_00 昭和40年男15歳
1981_31_21_11_01 『タイガーマスク二世』開始。佐山タイガーがマット界に出現
1982_32_22_12_02
1983_33_23_13_03
1984_34_24_14_04 三沢光晴が2代目タイガーマスクに
1985_35_25_15_05 昭和40年男20歳
1986_36_26_16_06
1987_37_27_17_07
1988_38_28_18_08
1989_39_29_19_09
1990_40_30_20_10
1991_41_31_21_11
1992_42_32_22_12 金本浩二が3代目タイガーマスクに
1993_43_33_23_13
1994_44_34_24_14
1995_45_35_25_15 4代目タイガーマスクが出現
1996_46_36_26_16
1997_47_37_27_17
1998_48_38_28_18
1999_49_39_29_19
2000_50_40_30_20 1990年生まれの人は10歳
2001_51_41_31_21
2002_52_42_32_22
2003_53_43_33_23
2004_54_44_34_24
2005_55_45_35_25 1990年生まれの人は15歳、2000年生まれの人は5歳
2006_56_46_36_26
2007_57_47_37_27
2008_58_48_38_28
2009_59_49_39_29 三沢光晴選手死去、「2代目タイガー」としての経歴が報道される
2010_60_50_40_30 年末、「伊達直人」を名乗る人物が児童養護施設にプレゼント
2011_61_51_41_31 (誕生日後の年齢)
2012_62_52_42_32
2013_63_53_43_33_┌1990年生まれ
2014_64_54_44_34_24_┌2000年生まれ
2015_65_55_45_35_25_15

 

 

古舘伊知郎は1954年生まれで、梶原作品についても詳しい。

 

 

 

実在のタイガーマスクのうち、初代(1957~)と2代目(1962~)は1960年生まれに近い世代である。
『タイガーマスク』の1作目を小学生のときにリアルタイムで観た世代になり、『二世』のときにはほぼ成人に達していたことになる。
柳田理科雄(1961~)や豊福きこう(1963~)もこの世代になる。

 

 

 

実在のタイガーでも3代目(1966~)と4代目(1970~)になると1970年前後生まれになり、幼いころに伊達直人編の『タイガーマスク』を再放送で観たか、小学校高学年から中学生時代に『二世』を観た世代になる。

 

 

 

1970年代後半に生まれた世代はおそらく『二世』のアニメか現実の2代目タイガーを観た世代だろう。

 

 

 

1980年代生まれになると実在のレスラーとしてタイガーを知っていても、梶原一騎原作の作品そのものは知らない世代だろう。
三沢光晴がリングで亡くなったとき、20歳年下だった嵐の櫻井翔(1982~)が「嵐のメンバーの一人(おそらく同世代)がプロレスファンで、今回のことで大ショックを受けていた」という趣旨のコメントをしていた。
嵐のメンバーについて調べるとプロレスファンだったことがわかるのは相葉雅紀である。

 

 

 

『二世』の主題歌は水木一郎が歌った。水木一郎が梶原作品を歌った例はほかにも1973年の『侍ジャイアンツ』前期オープニング(「松本茂之」名義)と1979年の『新巨人の星II』のオープニングがある。

 

 

 

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