1月11日入寮、12日自主トレ。
日本ハムファイターズの二軍宿舎は千葉県鎌ケ谷にある。

 

 

マスコミが注目するのはいいのだが、千葉県民は千葉ロッテマリーンズ(下注釋)の新人のほうは応援しないのだろうか。

 

 

 

日本ハムは今、札幌の球団だが、以前は巨人軍と同じ後楽園球場を使っていた。
『大甲子園』では1985年ごろ、明訓出身の土井垣将が後楽園球場の食堂で巨人×青田の夏の甲子園準決を見ていた。

 

 

 

日ハムの二軍練習場は以前、多摩川にあり、巨人の多摩川グラウンドとは土手を挟んで向かい側だったらしい。それが千葉に移った。

 

 

 

巨人軍の二軍宿舎は川崎にある。神奈川には巨人ファンと大洋、横浜ファンが両方いたのだろう。
星飛雄馬は左腕投手時代、1967年秋から入寮し、1968年は宿舎暮らし。1969年の自主トレの時期に東京タワー付近のマンションに引っ越した。
大リーグボール3号のとき、試合後、宿舎に戻ってからマンションに帰ったようである。
右投手時代は一軍に上がっても宿舎暮らしであった。

 

 

 

斎藤佑樹は私服で自主トレ。
『巨人の星』では星飛雄馬も伴宙太もユニフォーム姿で自主トレしていた。
雪山や釣り堀や竹林や工場での秘密特訓でもユニフォーム姿というのでは秘密にならない。
1968年春、飛雄馬が左門に打たれて球場から逃げたときもユニフォームのまま。鎌倉の禅寺でもユニフォームのまま。まことの不用心である。

 

 

 

プロ野球の新年は1月自主トレ、2月キャンプ、3月オープン戦というスケジュール。
昔から自主トレは私服だったのか。
それとも時代が変わったのか。

 

 

 

桑田真澄と清原和博は1986年入寮のはずで、松井秀喜は1993年入寮、田中将大は2007年入寮である。

 

 

 

斎藤佑樹はファンからの声援に対し手を振って応じた。早稲田野球部ではやらなかったことだ。もっとも日本の学校は学年が4月で始まり3月で終わるので、斎藤佑樹は2011年3月まで早大生のはずである。

 

 

 

自主トレで選手が私服である理由については2011年1月19日の朝日新聞の第2面「ニュースがわからん!」で取り上げられている。

 

 

 

前後一覧
2011年1/12 1月

 

 

 

関連語句
ユニフォーム 自主トレ 日本ハム 鎌ケ谷 ロッテ
星飛雄馬 長屋 マンション 宿舎

注釋
千葉ロッテマリーンズ
千葉ロッテの清田選手が鎌ケ谷出身であり、日ハムの斎藤佑樹一色になっている報道を批判したようで、当然だろう。清田選手の両親もテレビのインタビューに応じていた。
なお、千葉ロッテの二軍の球場は埼玉にあるロッテ浦和球場であり、埼玉は西武ライオンズの地元だ。
ヤクルトスワローズの一軍の球場は神宮だが、二軍の球場はやはり埼玉にあるヤクルト戸田球場。埼玉県には千葉ロッテ、埼玉西武、東京ヤクルトの二軍が集まっていることになる。
巨人の二軍合宿と読売ジャイアンツ球場は川崎市にあり、1977年まで大洋ホエールズは川崎球場を使っていた。1978年から大洋が横浜大洋になってから、ロッテが1991年まで川崎球場を使っていた。
こうなると関東地方の球団は一軍と二軍の球場が複数の都県にまたがることはよくあったようだ。

参照
プロ野球各球団史
スポーツ全般、梶原vs水島他(2011年1月)