2011年1月6日午前2時25分から1時間放送していた。本放送は『蒼穹の昴』の放送を前にした2010年秋の放送だった。
「希土類」では「希」が「稀(まれ)」の意味だが、この番組では「稀代」で「稀」を使っている。
国生さゆり、名越康文(精神科医)、加藤徹(中国文学研究者)、田渕久美子が出ていた番組西太后~稀代の悪女、その真実~』で話題になった映画は1984年の作品であろう。

国生さゆり(1966~)と名越康文(1960~)は1960年代生まれで、1984年当時は20代であり、西太后の映画を観た世代であろう。加藤徹も1963年生まれらしい。

国生さゆりは悪女が好きで、憧れているらしい。
田渕久美子が「西太后と篤姫は時代が重なっている」と言うので調べたら西太后は1835年生まれ、1852年に后妃選定面接試験(「選秀女」)を受けて合格。
篤姫が生まれたのは1835年(陽暦1836年)で家定の妻になったのが1856年、没年が1883年で、翌年が清佛戦争である。

西太后はビクトリア女王(ヴィクトリア女王、1819~1901)に関心があったらしい。英国女王としての在位は1837年から没年までで、1840年から1842年までのアヘン戦争の時期の女王。
映画『鴉片戦争』に登場した英国女王であろう。彼女は林則徐の名を [lin-zeksu:] のように Lin Zexu の綴りそのままで呼んでいたが、当時は Lin Tse-hsü という綴りだったのではなかろうか。
「林則徐」の「則」は日本語音読みで soku であり、本来は英語の sock(靴の中敷き)のように k で終わる音節だったので、結果として [lin-zeksu:] という読み方は「則」の語末子音を復活させた形になっている。

西太后は「悪女」と言われるが、やったことは始皇帝と似たようなことで、エカテリーナ2世もフランス革命後に焚書をやっており、スターリン、毛澤東も同様である。
特に度とから嫁いできた人が一番、傳統を重んじ、保守的だったというのはエカテリーナに近い。

オーストリア(Österreich)皇妃・エリザベート(Elisabeth、1837年12/24~1898年9/10)は1854年に結婚。やはりこの人も篤姫と時代が重なる。

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2010年1/4 1/5 [1] [2]