『歴史秘話ヒストリア』によると英国の紅茶の習慣も「王室の結婚」でポルトガルからもたらされたらしい。ここで輸入されたのは「紅茶を気楽に飲む習慣」で、それ以前にも紅茶は英国で飲まれていたようだ。
キャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza、1638~1705)はイギリス国王と結婚するためポルトガルから船で長旅をして、イギリスに到着するとお茶を所望した。しかし当時のイギリスでは茶を気軽に飲む習慣がなく、キャサリンに出されたのはイギリス名物・エール・ビール(Ale)。何かわからずに飲んだキャサリンは気分が悪くなって寝込んでしまったらしい。
その後、キャサリンはわざわざ母国から茶を取り寄せ、宮廷で振るまったらしい。これがイギリスで茶を飲む習慣が廣まった切っ掛けらしい。
その後、キャサリンはわざわざ母国から茶を取り寄せ、宮廷で振るまったらしい。これがイギリスで茶を飲む習慣が廣まった切っ掛けらしい。
もし、この人が飲んだのが麦酒でなく麦茶だったらどうだっただろうか。
キャサリンが生まれたのは1638年だから日本では家光の時代で、島原の乱があった時代だ。
17世紀といえば欧洲では魔女狩り、プロテスタントとカトリックの争い、ガリレオ裁判などがあった時期である。
キャサリンは1662年に結婚したらしいが、この時期は徳川光圀が水戸藩主になった1661年の翌年である。
キャサリンが没した1705年は吉宗が紀伊藩主になった時期だ。
17世紀といえば欧洲では魔女狩り、プロテスタントとカトリックの争い、ガリレオ裁判などがあった時期である。
キャサリンは1662年に結婚したらしいが、この時期は徳川光圀が水戸藩主になった1661年の翌年である。
キャサリンが没した1705年は吉宗が紀伊藩主になった時期だ。
チョコレートの歴史も王室の結婚と関係があり、フランスにチョコが持ち込まれたのもスペインからで、さらにそのもとはメキシコから。
スペインがメキシコで入手したカカオの飲み物がショコラトル(Chocolatl)。17世紀初め、スペインからフランス王国に嫁いだアンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche、1601~1666)がこれをフランスに持ち込んだ。
ショコラトルは番組で「ショコラトール」だったが、tl という子音連続から「ト」が長くなるとは考えにくい。
番組によると、次にルイ14世に嫁いだマリー・テレーズ(Marie Thérèse d'Autriche、1638~1683)は「私には二つの情熱がある。一つは王様。もう一つはチョコレート」と言ったとか。
なお、マリー・アントワネットの母・マリア・テレジア(Maria Theresia von Österreich, 1717~1780)は別人である。
スペインがメキシコで入手したカカオの飲み物がショコラトル(Chocolatl)。17世紀初め、スペインからフランス王国に嫁いだアンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche、1601~1666)がこれをフランスに持ち込んだ。
ショコラトルは番組で「ショコラトール」だったが、tl という子音連続から「ト」が長くなるとは考えにくい。
番組によると、次にルイ14世に嫁いだマリー・テレーズ(Marie Thérèse d'Autriche、1638~1683)は「私には二つの情熱がある。一つは王様。もう一つはチョコレート」と言ったとか。
なお、マリー・アントワネットの母・マリア・テレジア(Maria Theresia von Österreich, 1717~1780)は別人である。
チョコレート・パフェ(chocolate parfait)という食品があるが佛語風に言うならショコラ・パフェ(chocolat parfait)であろう。
parfait は perfect の佛語版(意味は「完全な」→「全部揃った」→「果物などの寄り合わせ」)である。
parfait は perfect の佛語版(意味は「完全な」→「全部揃った」→「果物などの寄り合わせ」)である。
オーストリア皇妃・エリザベートはハンガリー、ブダペストのカフェにお忍びで訪れていたようで、お気に入りはドボス・トルタ(Dobos torta)だった。エリザベートは美容のためにプロボクサー顔負けの食事制限と運動、ダイエットに明け暮れる人生を送っていたらしいが、時々、息抜きでチョコレートクリームがたっぷりの甘菓子を食べていたようである。
王室の一員であっても一人の人間である。
王室の一員であっても一人の人間である。
漢字論原点回帰II>『私的チャイナビ』カザフ族のチャイ