同義的に謝罪すべきであっても法廷闘争では無罪を主張するというのはよくあることで、これでも侘びるだけましである。
事件や事故の責任者とされた側が最初は被害者に謝罪しても訴えられたら發言をひるがえして無罪を主張することはよくある。

法廷というのはどんな犯罪者でも無実、無罪を主張し刑を軽くしようとする場であり、倫理も道徳もへったくれもない茶番劇のような場であり、辯護士は黒を白に見せかける詭辯の天才である。

福知山線の場合、過密ダイヤが問題とされるが、ダイヤを過密にしたのはおそらく乗客であろう。1分、2分遅れても怒って鉄道会社に抗議する日本人の時間潔癖症が問題だ。末端の職員に抗議しても意味はない。
それに明らかに乗客のせいで遅れたり混雑したりしていても車掌が放送で毎日謝罪している始末だ。

今回も、もし事故がなく、列車が1分半の遅れで到着していたら乗客はその遅れで怒っていたはずだ。
海外では1分半の遅れなど「定刻どおり」の範圍内である。
そもそもパソコン、腕時計、驛の表示で1分か2分は誤差があって当然。

日本の鉄道はたかが1分か2分の遅れで事故を起こす意味では、危険だとも言える。

今回の事件は乗客にも原因があるが、直接の原因は高見運轉士自身である。たかが1分か2分の遅れを取り戻そうとして何百にもの客を道連れにして殺し、傷つけたようなものだ。

遅れたまま次の驛に着いて乗客が会社や学校に遅れてもそれは一時的なものだ。
高見運轉士は自分が解雇されるのを恐れて乗客を道連れに自殺したわけで誠に身勝手である。

高見運轉士がJR西日本を解雇されたところで死ぬわけではない。
彼は新幹線を運轉するのが夢だったそうだが、それならJR東海や東日本にでも移って、例えば上越新幹線でも運轉すればよかったのである。
今ごろなら東京と青森を結ぶ東北新幹線を運轉していたかも知れない。

以前、高幡不動と多摩動物公園を京王線で往復していたとき、その路線は20分に1本だったので、1分か2分の誤差はどうでもよかった。これが重要になるのは2分か3分間隔で列車が来る場合で、そうなると列車に乗り遅れても2分も待てば次が来る。
目の前にある電車に乗ろうとする人たちが駆け込み乗車をして電車を遅らせるのだが、電車が2分遅れて問題になる場合は、定時に出た場合、2分後には次が来るから、乗り損ねても2分待てばいいのである。

ところで海老蔵は伊藤リオンとの事件で被害者を主張したが一方で世間に謝罪した。海老蔵は記者会見を缺席して夜の西麻布に出かけてあの事件を起こした(事件に遭遇した)のであって、世間に対しては海老蔵は「加害者」であるが、伊藤リオンに対しては海老蔵が「被害者」ということだろう。

東京裁判のとき、東条英機は日本国民に対しては有罪だが、日本全体は連合国に対して無罪だったから、東条は裁判で無罪を主張したらしい。

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2010年12/23 12月 [1] [2]

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謝罪 近現代