てんコミ第1巻を見ると例のアルバムでのび太がダンプカーにはねられるはずだったのは昭和45(1970)年2月6日である。
しかしおそらく初期大山ドラのアニメ版では昭和55年(1980年)2月6日に変更されている。
ネットで検索すると1979年4月9日放送という情報がある。
Y!Japan ドラえもんの大予言 1979年

すると、アルバムの日付が「昭和55年」だった話が昭和54年(1979年)4月放送だったとすると、1979年の放送の時点で1980年2月の話を描いていたことになる。
劇中ののび太が1979年4月9日当時で小5だったとすると1968年8月日生まれで、1980年2月の時点でも小学5年生だったことになる。

原作第1話では1978年または79年でのび太が大学を受験する予定だったが、大山ドラはその時代に始まり、原作でもてんコミ第21巻(1981年初刊)の「恐竜がでた!?」でドラえもんが昭和54年(1979年)の新聞を読んでいる。

大山ドラ初期の「プロポーズ作戦」ではのび助と玉子の12回目の結婚記念日で話が始まる。
劇中の12年前は昭和34年(1959年)11月3日の日比谷公園。
公園で出現したのび助の妹(のび太の叔母)はそのままであった。
おそらくは最初のアニメ化と思われる。
ネットで調べると1979年5月14日放送のようであった。
のちに2005年に「13年目のプロポーズ」、2009年に「のび太のプロポーズ作戦」としてリメイクされたが、リメイク版ではのび助の「妹」は出現せず、その場でのび助が出くわした女の子に変更されている。

「ママのダイヤを盗み出せ」で玉子が子供の時代は昭和23年(1948年)7月10日である。
ここで子供時代の玉子がお嫁さんごっこのあと、『黄金バット』の紙芝居を見て、指輪を紛失。のび太がこの指輪を見つけるが、玉子の母がこれをのび太に譲り、母方の祖母から孫へ贈与された結果となった。
2007年のアニメ版では玉子が7歳のときに松田聖子のサイン会があった設定になっており、松田聖子の歌手デビューは1980年の「裸足の季節」だが、作品では1982年のヒット曲「赤いスイートピー」が流れていたので劇中の過去は1982年以降。玉子が1982年で7歳なら1975年生まれである。

1975年生まれは2010年で35歳、内田有紀と同い年だ。大原めぐみも1975年生まれ。


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2010年12/19