『のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』の映画は1997年春公開。
藤子・F・不二雄は前年1996年9月、この作品の漫画版を執筆中に他界したらしい。

『ドラえもん』の大長編『のび太のねじ巻き都市冒険記』によると、36億年前に「種まく者」が地球と火星に「生物の種」をまき、生命を誕生させた。それはアミノ酸、蛋白質などの有機物質らしい。だが、1500万年前に小惑星が火星に衝突して火星の生命は滅んだらしい。
もっともてんコミ第13巻「ハロー宇宙人」では火星にはコケが残り、これがドラえもんの「進化放射線」で火星人に進化、地球人を共謀な生物と認識し、宇宙へ旅立った。

1996年、火星起源の隕石に生命の痕跡らしき物があったとNASAが發表したらしく、スネ夫が言及している。

したがってこの作品にけるのび太、スネ夫、ジャイアン、静香は1996年度で小学生だったことになる。
漫画原作の場合、単行本ではのび太たちは小学4年であり、アニメでは小学5年生だ。

1996年度でのび太世代が小4とすると、のび太の10歳の誕生日は1996年8月7日になり、スネ夫の10歳の誕生日は1997年2月某日となる。ここからのび太は1986年生まれ、スネ夫は1987年生まれである。
一方、1996年度でのび太世代が小5であれば、1996年8月7日はのび太の11歳の誕生日であり、1997年2月にスネ夫の11歳の誕生日が来ていたはず。ここからのび太は1985年生まれ、スネ夫は1986年生まれである。
1985年生まれの相武紗季と同世代であるし、1986年はハレー彗星接近の年。「ハリーのしっぽ」では1985年当時でのび太が10歳前後だったわけで、『ねじ巻き都市』ののび太は「ハリー」ののび太よりさらに10歳ほど年下である。

次にのび太の親の年齢を考える。
のび助は原作で36歳から38歳ほどで、玉子は32歳から38歳であろう。
ここで計算の便宜上、1の位の数字を西暦と合わせて、1996年でのび助または玉子が36歳と假定する。
そうなると『ねじ巻き都市』ののび助と玉子は1960年ごろに生まれたことになる。

原作が1970年にスタートしたとき、のび太は1960年ごろ(一番年上の場合は1959年8月7日生まれ)に生まれたキャラクターであった。
つまり『ねじ巻き都市』が描かれた時点で原作初期ののび太世代が年齢の上ではのび太の親世代になっていたわけだ。
そもそも原作第1話でのび太が観たアルバムの写真では近未来が1995年までで、1995年には大人ののび太とジャイ子、二人の子供らしい赤ん坊が一緒に住み、多額の借金をかかえているはずだった。
一方、1977年の「りっぱなパパになるぞ!」では2002年でのび太と静香の息子・ノビスケが10歳くらいになっており、1995年ごろは幼稚園児か小学校低学年の年齢だったと思われる。

1996年に漫画が描かれ、1997年にアニメ映画が封切られた『ねじ巻き都市冒険記』で、のび太世代は世代交代をむかえたわけだ。
つまり、原作がスタートした1970年当時の読者が、1996年、97年には親世代になっていたわけだ。

藤子・F・不二雄他界により、武田鉄矢は映画『ドラえもん』の主題歌から一旦手を引き、14年後の2010年『のび太の人魚大海戦』で挿入歌を歌った。

藤子・F・不二雄氏の遺作となった映画ドラえもん「のび太のねじ巻き都市冒険記」公開から18年になる。18歳は高校3年以上。今の高校生以下はF氏没後のドラえもんを見て育った世代になる。
1:37 - 2015年7月26日

@kyojitsurekishi 今の高校3年生が生まれたのは1997年度。藤子・F・不二雄氏の遺作となった映画ドラえもん「のび太のねじ巻き都市冒険記」の公開は約18年半前の1997年春。テレ朝のドラえもんにとって18周年の時だった。
2015年10月10日17:20


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