星飛雄馬の中学は原作で隅田川中学(KC第12巻、文庫第7巻、『巨人の星・余話』)、アニメでは荒川区の川堤中学のようだ(第10話)。

 

星飛雄馬は第8話で中学3年生になっており、第9話で明子が就職活動をしている。
星飛雄馬は少年野球時代、1958年で10歳だとすると年度初め(学校の1学期の時期)生まれなので、中学生だったのは1961年4月から1964年4月まで。
一方、青雲高校に入ったのが1966年(昭和41年)であることを基準にすると1950年生まれで中学時代は1963年4月から1966年年3月まで。
プロ入りが1967年秋で当時高1だったことを考えると1951年生まれで中学時代は1964年4月から1967年3月まで。
星明子は1945年3月には生まれていたので1942年から1945年までに生まれたとして、1962年から1965年までの間に20歳になっている。
飛雄馬が長嶋茂雄に魔送球を投げつけた1958年当時、明子は13歳から16歳になっていたわけだ。もし16歳なら中卒で働いていたはずである。

 

『巨人の星』第10話「日本一の日雇い人夫」
DVDで観ると第10話のサブタイトルの画面表示は「日本一の父 一徹」。
しかし第9話のエンディング直前の予告編では「日本一の日雇い人夫」。

 

第10話後半で飛雄馬が面接を受けたとき、伴大造が飛雄馬の父の職業を尋ねたとき、高校の職員が観た書類では飛雄馬の父の職業は「重労務者」で、伴大造が飛雄馬に尋ねたところ、飛雄馬は「僕の父は日本一の日雇い人夫です」と回答。

 

『巨人の星』の時代は金持ちを表す「セレブ」などというあってもなくてもいい単語は存在せず、「ブルジョア」と言っており、「新巨人の星」では「貴公子」(ルビが「ハイソサエティ」)であった。

 

左門がキリンレモンのCMで「セレブ」という言葉を使っているのは時代考証の上で間違っている。
また、飛雄馬は第三者に話すときは左門を「左門」と呼ぶが、面と向かっては「左門さん」であり、CMで飛雄馬が左門を呼び捨てにしているのも不自然だ。

 

星飛雄馬が自分の進む高校を自分で選ぶ前に一徹が決めたのは親の横暴であろう。
それに星一徹は飛雄馬を高校に入れるときに「これから団体競技の野球を学べ」と言っていたが、それなら飛雄馬が小学生、中学生時代に少年野球チームに正式に「入団」させていればよかったわけで、道路工事ばかりしていた一徹の指導方法に問題がある。

 

一徹が短期だけ青雲高校の監督になったのも、星飛雄馬の育て方の缺陥を自ら補正したとも言えるが、飛雄馬の自己判断の失踪などの個人プレーはプロ入り後も左腕投手時代は何度も続いていた。

 

一徹は高校で飛雄馬を伴宙太と組ませようとしていたが、伴は飛雄馬より2年先輩なので、このバッテリーは飛雄馬にとっての高1(伴にとっての高3)秋季大会、関東大会までが限界で、高2春の選抜大会では伴は卒業してしまっただろう。
牧場が暴力事件を起こしてくれたから飛雄馬は中退して、伴、花形、左門と同期でプロ入りできたわけだ。

 

左腕の飛雄馬は実質、1968年、69年、70年の3年、左腕投手として活動して一時失踪した。これは飛雄馬の学年にとって高2、高3、高卒1年目(進学していれば大学1年)の時期であり、太田幸司と同学年で、飛雄馬のプロ3年のうちの初めの2年間が高校野球だったとすると、飛雄馬は高卒1年目で引退した選手のようなものだ。
一方、『巨人の星』無印の花形と伴にとっては1968年度から70年度までがプロ在籍期間で、大学1年から3年までが大学だっただけで、その後、飛雄馬が5年間失踪していたので、花形も伴も大学に入るなどしてそれぞれの会社を継ぐ準備はできたわけだ。

 

なお、伴宙太の会社の伴自動車工業は『新巨人の星』で伴重工業になり、花形の会社の花形モータースは花形コンツェルンと呼ばれるようになっているが、『新~』で伴宙太はベンツ、花形はキャデラックの車に乗っており、両社とも事業を擴大した代わりに自動車産業からは撤退したようである。

 

@kyojitsurekishi

2012年11月19日(月)

@acide_guene 星飛雄馬の中学時代を扱った話では講談社コミックス12巻、講談社漫画文庫7巻巻末の「巨人の星余話」があります。アニメでは第8話「もえろライバル」から飛雄馬中学3年の時代になって。第10話が青雲高校の入試になっています。

posted at 11:03:30

 

2013年02月24日(日)

@kajiwara_bot 「巨人の星」のKC(講談社コミックス)の単行本は全19巻。文庫は全11巻。最終回以外でKCと文庫の区切りが一致しているのは2箇所。最初はKC5巻、文庫3巻で飛雄馬が巨人の入団テストに合格した時。次はKC12巻、文庫7巻で日高美奈死去と「巨人の星余話」。

posted at 22:11:06

 

2013年10月03日(木)

@npbOP_bot 1966年(昭和41年)度は星飛雄馬が青雲高校に入った年だったはずが、途中で高1の秋が1967年になって、1966年度は高校入学前年の飛雄馬中学3年当時の年度になってしまった。

posted at 02:40:01

 

2016年03月10日(木)

@kyojitsurekishi 星飛雄馬の場合、家が貧乏なので高校入学は夢で、青雲高校入学も一徹の重労働でやっと実現したので、明子は中学卒業後、高校に進学できず、「家事手つだい」だった可能性がある。

posted at 20:40:10

 

2016年09月19日(月)

@npbOP_bot @kyojitsurekishi 今回の劇中の時代は昭和33年(1958年)から昭和39年(1964年)まで。星飛雄馬は小学生から中学生になった。
#とと姉ちゃん』 - Yahoo!ブログ 

#巨人の星

posted at 09:08:36

 

2018年05月06日(日)

#鯉のぼり の歌詞に出てくる「たちばなかおる」は人名にもなる。
「巨人の星」文庫7巻収録の「余話」に登場した少女「橘カオル」は、星飛雄馬が墨田川中学校2年B組にいた時の同級生。飛雄馬が1951年度生まれであれば、中2だったのは1965年4月~1966年3月の時期。1965年は川上巨人V9の1年目であった。

posted at 12:50:49

 

2019年10月05日(土)

@mainichi_kotoba @ToshioOkada
「夜話」は「やわ」ですが「よわ」と読みたくなります。「よわ」だと「巨人の星」にあった「余話」になりますか。

posted at 12:55:23

 

2020年06月28日(日)

飛雄馬中学時代の級友・青島光彦は体育が苦手だった。
青島君は結局、星飛雄馬によって自信を与えられ、スポーツ万能になったということだが、結局、スポーツが得意にならないと、問題解決にならないのかという気がしてくる。
#巨人の星「余話」
講談社コミックス12巻 
講談社漫画部の7巻

posted at 17:58:35

 

#巨人の星☆の星飛雄馬の青雲高校入学は1966年(昭和41年)春、つまり中学入学は1963年だったが、プロ野球編の設定では1967年度(昭和42年度)で高1になる。
これだと飛雄馬は1951年度(昭和26年度)生まれで、中学時代は中1:1964年春~65年春、中2:65年春~66年春、中66年春~67年春になる。

posted at 18:03:30

 

#巨人の星「余話」
中学時代の星飛雄馬が青島君に自信を与えたのは一種の八百長に近かった。野球のできない青島君がバントの構えをしたとき、飛雄馬がそのバットに当てて、ヒット(セーフティーバント)になった。のちに大リーグボール1号を編み出した星飛雄馬にとっては簡単だっただろう。

posted at 18:19:02

 

2020年07月18日(土)

#巨人の星〕の「余話」。
講談社コミックス12巻、講談社漫画文庫7巻巻末。
飛雄馬中学時代。運動が苦手な青島君。なぜ飛雄馬だけ笑わなかったか。ここに梶原一騎のメッセージがあったのかもしれない。
posted at 16:18:54

色々誤解されている部分もありますが、これが梶原一騎の本質だよ

 

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関連語句
飛雄馬 中学 [1]〕~〔飛雄馬 中学 [10]〕~〔飛雄馬 中学 [19]〕
飛雄馬 中学〕〔巨人の星 余話〕(twilog)
星飛雄馬 [1] … [6] 星明子 球歴 中学 青雲高校 高校野球(Y!Blog)


参照

とと姉ちゃん』第19週☆ - teacup.ブログ“AutoPage”

2016/8/7 3:27