元「南海」で巨人の大道典嘉内野手とロッテの堀幸一内野手が引退。
どちらも昭和最後のドラフトであった1988年のドラフトで入団。
Y!Japan 最後 南海 ロッテオリオンズ 引退

 

 

あぶさんも元「南海」だが、あぶさんは2009年のシーズンを最後に引退しているので、元「南海」の最後の現役選手が大道選手だったことになる。

 

 

 

ここで問題なのは四国アイアンドッグスの犬飼小次郎である。彼はアイアンドッグスでは選手兼任監督のようだ。
小次郎は1977年当時の『ドカベン』では高3秋のドラフトで南海から指名され、1979年の夏(劇中の設定ではドラフトから9箇月後だが実際は2年ほど経過)に明訓が弁慶高校に敗れたときに広瀬監督の南海ホークスに入団した。
もし小次郎が21正規初めでも選手であれば彼はあぶさんと並ぶ元「南海」の古株だったことになるが、『ドカベン プロ野球編』の設定では犬飼小次郎は1992年秋のドラフトでダイエーホークスから指名され、93年に入団したことになっている。

 

 

 

『侍ジャイアンツ』では1973年春のオープン戦で、金田正一監督率いるロッテが巨人の番場蛮と対戦している。
1974年にロッテと中日が日本シリーズで対戦した当時、ロッテのホーム球場は宮城県の県営球場だったらしい。

 

 

 

1978年に大洋ホエールズが川崎から横浜に移った(下注釋)。代わってロッテが川崎球場をホームに使用。

 

 

 

1992年にロッテが川崎から千葉に移った。

 

 

 

前後一覧
2008年9/15 [4]
2010年12/4

 

 

 

関連語句
南海 ロッテ 球団史 [1] [2] [3] 最後 南海 ロッテ 南海 引退 ロッテオリオンズ 引退
犬飼小次郎 ドラフト 犬飼小次郎 ドラフト 1992 93

注釋
大洋ホエールズが川崎から横浜に移った
大洋ホエールズは1977年まで川崎球場がホームで、1978年から横浜球場に移って横浜大洋になった。
横浜大洋は1993年に横浜ベイスターズになっている。

 

 

 

左門豊作のユニフォームの文字は『巨人の星』と『新巨人の星』の途中まで TAIYO だった。なぜか川崎球場での試合でも胸の文字は Wales でなく TAIYO であった。
『新巨人の星』では星飛雄馬が大リーグボール右1号(蜃気楼の魔球)を編み出した1978年、左門豊作のユニフォームの文字が YOKOHAMA になっている。

参照
南海、ダイエー(大栄)、ソフトバンクホークス・球団史
ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ・球団史
スポーツ全般、梶原vs水島他(2010年12月)