1980年代後半から90年代初めにかけて、日テレ時代劇が人気となり、J-POPの歌手が紅白辞退、大晦日年越しライブなどに流れた時期、紅白が日本でのヒットの有無を無視して、歌手は有名でもそれほどヒットしていない曲や、韓国など外国の歌手を起用したことがある。
趙容弼も出たことがあるし、爆風スランプが「Runner」で再ブレークしたのも紅白のおかげ。
それより決定前に勝手に「~説」を流すマスコミが悪い。
趙容弼も出たことがあるし、爆風スランプが「Runner」で再ブレークしたのも紅白のおかげ。
それより決定前に勝手に「~説」を流すマスコミが悪い。
1980年代まで、日本の流行歌は「邦楽」と「洋楽」に2分割され、アジアン・ポップスはそこに入ることができず、中国、朝鮮系の歌手が日本では演歌歌手扱いされてきた経緯がある。
台湾の鄧麗君の歌など今聴くと演歌というよりバラード中心のポップスにも聴こえるが当時は演歌扱いされていたわけだ。
韓国人歌手でも趙容弼、金蓮子、桂銀淑、閔海景がそれほど演歌らしくない歌を歌っても、日本の歌番組では演歌歌手扱いであった。
韓国人歌手でも趙容弼、金蓮子、桂銀淑、閔海景がそれほど演歌らしくない歌を歌っても、日本の歌番組では演歌歌手扱いであった。
その後、80年代から90年代にかけて梁秀敬(ヤン・スギョン)、姜修智(カン・スジ)などの時代を経由して、日本で「邦楽」でも「洋楽」でもないアジアの音楽が受け入れられていった。
李仙姫の「空がくれたもの」などはどうもカントリー風だし、周冰倩の「Passing Love」もバラード風ではあるが、ジャズ風のようでもあり、演歌ではないだろう。
李仙姫の「空がくれたもの」などはどうもカントリー風だし、周冰倩の「Passing Love」もバラード風ではあるが、ジャズ風のようでもあり、演歌ではないだろう。
21世紀になってC-POPやK-POPが若者に浸透していくと、年配の人には東アジアの流行歌が縁の遠い存在になったのであろう。
なお、都はるみは一度引退(鈴木健二の「私に1分間だけ時間を下さい」が有名)のあと、演歌とポップスの垣根をなくそうと努力しているようだ。
前後一覧
2010年11/24
2010年11/24