民主党政権が誕生した衆議院選挙が行われた2009年8月30日の『新報道2001』
江尻氏は西洋人から「中国は将来、世界一の経済大国になるかも知れないので、その隣にいる日本は幸せで、対立でなく友好を重視すべきだ」と言われたようだ。
しかし中国の黄砂が日本に来るだけでなく、中国で石炭を燃やすことで日本で光化学スモッグの被害が30数年ぶりに復活しているのを見ると、日本は中国の隣で不幸でもある。

中国市場に進出したピジョン、ハニーズと偽造品との戦いの話のあと、石平氏は「中国は法治国家でない。モラル不要という教育」と言い、張景子氏は「中国では儒教の精神が残っている」と言う。
そして教育、環境問題と進んで、司会者が儒教との関連か、「我々日本人は孔孟の教えを学んだが中国人は守っていない。先日、中国人ジャーナリストと話したとき、彼等自身が『論語』を学んでいないらしい」と述べた。石平氏は「文革で孔子が否定され、孔子の本を読んだ人は逮捕された」と述べている。
ただ、番組の終わり間際で石平氏も「少しは復活している」とは言っている。

中国の経済發展と環境汚染について張景子氏は「経済成長をしてきた国は必ず環境問題をかかえており、日本もそうだった」と指摘。
確かに1970年代の日本は光化学スモッグがひどかったし、日本の高度背経済成長で水俣病などが起きており、今の中国の批判する資格があるかどうか。
日本は1964年の東京五輪から1970年の大阪万博まで経済成長至上主義で、環境破壊をしてきた。日本の工場の煙が世界にどんな影響を与えたか当時の日本人は何も考えていただろう。

中国で一人っ子政策によって子供が「小皇帝」と呼ばれていることなど、とっくの昔から有名なことで、中国を考える上での「いろはのい」であり、ここ番組で「小皇帝」という呼び方を取り上げていたところを見ると日本では中国はまだよく知られていないようである。

全体として中嶋氏と石平氏が中国に厳しい意見で、原田氏は中立的で、江尻氏と張氏が中国を擁護する(温かく見守る)意見を言うのだが、そのあとに司会者が話題を少し切り替えて中国の問題点を指摘する話に移す傾向があった。

ある番組で「衆(参)院選」は何の略かというクイズが出て「衆(参)議院選挙」が「誤り」とされ、「衆(参)議院議院選挙」が「正しい」とされたが、こんなものは解釋の違いで、「衆議院選挙」でもいいだろう。
もし「水戸黄門が訪れた場所で一番南は」という問題が出た場合、「鎌倉」と「箱根」のどちらが正解か。『トリビアの泉』では「鎌倉」となっているが、ネットで見ると徳川光圀は熱海にも訪れたようで、では光圀は熱海に行く途中で箱根を訪れていないのか。
所詮、クイズの「正解」など本当の「正解」とは限らない。

中嶋氏は中国に対して「まだ成熟していない」と言っており、それは昨今の反日デモを見ればわかるが、中嶋氏の日本語はときどき、てにおはが不明確になり、話があちこち飛んで、全体で何を言いたいかわかりづらい場所が多かった。

日本語には非常に曖昧な言い方が多い。
取材に応じた人が、北九州で夜でも發生する光化学スモッグについて「日中できたものが移動してきたと考えるのが自然ではないかと」と言ってその場面はいったん終わり。
本当は「自然ではないかと思う」と言うべきだ。
冒頭でも司会者が「日本企業が中国で成功する割合が20%」ということについて「成功と失敗の分かれ道とは」と言ってあとを略している。「分かれ道とは何か」まで言わないと不正確になるはずだ。

それから日本語では「教育にすべてを賭ける親たち。それに応えようとする子どもたち」のように「動詞+名詞」が多い。動詞を文末に置いた言い切りを避けたがる日本人の国民性が見える。
例えば胡錦濤(=胡錦涛)国家主席がが博物館を見学した場合、博物館の冊子でその写真を掲載し、下に解説を書くとすると、日本では「博物館を視察する胡錦濤主席」となるが、中国人が日本語で書くと「国家主席胡錦濤が博物館を視察する」というような文になる。「国家主席胡錦涛参観博物館」からの直譯だ。
また、中国ではなぜか最初は「肩書+名前」で、2番目に「名前+肩書」である。
最初に「国家主席胡錦涛」と紹介し、次は「胡錦涛主席」または「胡主席」となる。

番組で中国人の言葉に日本語の音声がかぶさっていた。
石平氏と張景子氏はどういう気分だっただろうか。
また、もし番組で石平氏と張景子氏が「論争」になりかけたら、日本人視聴者のために中国系の人同士で日本語で討論することになっただろう。
中嶋氏が中国の環境問題を人権と結び付け、それに張景子氏が反論しようとしたとき、石平氏が日本語で中嶋氏に同意する意見を言って、張景子氏が石平氏に日本語で反論する形になりかけた。

日本人が中国でそういう立場になったらどうか想像すると、とても奇妙に見えるが、今の社会ではありえるケースである。

司会者と張景子氏の日本語が一番わかりやすく、石平氏の日本語は所々文法がおかしいところがあるが、趣旨はわかる。中島氏の日本語が時々、わかりづらくなり、思いついたことを思いついた順番に言っているだけで、主語と述語もはっきしりないことがしばしばあった。

この番組で、中国に進出した日本を企業を悩ませている海賊版についての話では「中国は法治国家ではない」ということが問題とされていた。
しかし一方で中国による少数民族への弾圧も問題視されており、この場合、少数民族の暴動は中国政府から見たら違法行為であり、その意味では反日暴動と同じで、取り締まりがおこなわれているとすれば法治が徹底しているからである。

その意味ではこの番組では、日本人は中国の法治を支持しているのか、いないのか、はっきりしない。
また、文革で学習の権利を奪われた世代の親が子供に期待をかけた結果、教育熱が過剰になり、政府は夏休みの授業を禁止している。それでも親の要望で学校が夏季講習をやっているのが実情。
これも違法だろうが、番組ではこの違法行為に関しては直接には問題視せず、むしろ中嶋氏が「人を押しのけて自分がのしあがろうとする教育熱」を批判していた。


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2010年11/16