星飛雄馬はアニメの第8話で中学3年生になっており、第9話で明子が就職活動をしている。
1966年青雲高校入学を基準にすると飛雄馬は1950年の4月2日以降に生まれたことになるので、中3は1965年4月から1966年3月まで。プロ野球編を基準にすると1967年入学なので、飛雄馬は1951年の4月2日以降に生まれ、1966年4月から1967年3月まで中学3年生だ。
さて、明子の生まれた年はいつかというと、春江が懐妊した年が1942年から1945年まで幅がある。
明子が1943年か1944年ごろに生まれたとすると1963年か1966年ですでに20歳である。
明子が1943年か1944年ごろに生まれたとすると1963年か1966年ですでに20歳である。
1958年、少年飛雄馬が長嶋茂雄に魔送球を投げつけたとき、明子は13歳か14歳、中学生だったことになる。
明子が早生まれでないとすると中学3年生だったのは1959年か1960年ということになる。
では明子は1960年ごろから1965年ごろまで5年の間、どうしていたにか。
一徹には明子を高校に送る財力はないので、明子は高校生か大学生の年齢で「家事手傳い」だったことになる。
明子が早生まれでないとすると中学3年生だったのは1959年か1960年ということになる。
では明子は1960年ごろから1965年ごろまで5年の間、どうしていたにか。
一徹には明子を高校に送る財力はないので、明子は高校生か大学生の年齢で「家事手傳い」だったことになる。
逆に星飛雄馬が高校入学あるいはプロ入りした時期を無視して1958年で10歳くらいと假定して考えてみる。この場合、星飛雄馬が中3だったのは5年後の1962年。この時点で明子は17歳か18歳くらい。中学を出て2年か3年経過しており、この時点で就職活動というのも、まあわかる。
逆に星明子が1965年で16歳か17歳だったとすると1948年か1949年生まれになる。この場合は、春江の戦時中の懐妊で生まれた子供だという設定が無効となる。