『雷桜』のHPの「登場人物紹介」を観ると主人公・清水斉道は徳川家斉の十七男らしい。

徳川家斉は1773年生まれで、その治世は1787年から1837年までの50年。さらに1841年までの大御所時代をくわえると54年。
家斉の長男は1792年に生まれて翌年に没しており、二男の家慶が1793年に生まれている。家斉が生まれて20年後に家慶が生まれたわけだ。

十男の徳川斉明が1809年(陽暦で1810年)生まれ。
清水徳川家の当主の名前に「斉道」は見当たらない。
松平斉民は家斉の十四男で1814年生まれ。
徳川斉温は十九男。松平斉良は家斉の二十男で1819年生まれ。この2名は誕生日が半年違うだけである。

十七男が十四男より3歳年下とすると1817年ごろに生まれたことになる。
しかも映画に出てくる斉道は20歳くらいに見え、俳優の年齢が劇中の人物の年齢と必ずしも一致しないことが多い(『龍馬伝』の例)があるが、斉道が20歳とすると1837年ごろ、天保中期ごろの話になる。
1837年に家斉は将軍の座を家慶に譲り、大御所となった。

日本版『ロミオとジュリエット』という作品らしいが、江戸時代の武士は結婚相手を自分で決められなかった。不幸に見えるが、現代社会では若い有名人が結婚しては離婚というケースが何度もあり、個人の自由など認めると結婚生活は長く続かない。

『奇兵隊』では高杉晋作に妻がいながら別の女性と一緒の場面が多く、ラストシーンでは高杉が病気か何かで虫の息で帰宅しても妻は怒らず、その女性に「夫がお世話になりました」。

また、川上哲治は九州から状況した際、妻を連れていくだけの財力もなく、川上が打撃の神様になったときも妻は熊本で畑仕事をして実家を守っていたらしい。
今の若いプロ野球選手なら結婚しても仕事で夫婦のすれ違いや別居が増えるとすぐ離婚の危機。

むしろ親が決めた相手と結婚していた時代の人のほうが夫婦関係が長続きしていたようで、人間に「自由」など与えても幸福とは限らないことがよくわかる。

ところで徳川家斉の二十五男・松平斉宣が1825年生まれなのに、家斉の孫である徳川家定(家斉の二男・家慶の四男)が1824年生まれで、家定にとっては自分より年下の叔父がいたことになる。
息子が25人になると毎年一人生まれたとしても25年かかり、これでは最も年の離れた兄弟親子ほどの年齢差になる。


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2010年11/6