TBSにとって横浜ベイスターズ保有は赤字らしいが、買収を検討していた企業とフランチャイズ(本据地)などに関する条件が合わず交渉は決裂。

来季も横浜ベイスターズはTBSの傘下にとどまり、少なくとも横浜から去ることはなくなった。
関東地方にいる者としては神奈川からプロ球団がなくなるのは大事件となるだろうが、関東はまだ惠まれているほうであろう。

目下南関東の千葉(ロッテ)、埼玉(西武)、東京(巨、ヤ)、神奈川(横)にはプロ球団がそろっている。

1978年に大洋ホエールズが川崎から横浜に移って横浜大洋となり、横浜球場もその年に完成。
ほぼ同じ時期に西武がライオンズを買収し、西鉄や太平洋時代から九州にいたレオ軍団は埼玉に移された。
ロッテはカネやんが監督だった1970年代半ば(1973年開幕オープン戦でのロッテ×巨人戦が『侍ジャイアンツ』で描かれた)には東北を地元にしていたが、78年ごろに関東に移ったらしい。

それから約10年後に、ダイエー(大栄)の中内功氏が南海ホークスを買収して九州に移した。
この間、1978年から88年までの10年間、日本プロ野球の球団で一番西は広島であった。一番東は関東。
つまり昭和最後の10年間、日本のプロ野球チームは瀬戸内~関西~東海道~関東に集中していたわけだ。

巨人に移籍していた最後の南海ホークスの選手が最近、引退した。
ホークスが本州から去ったことは地元のファンには悲劇だっただろう。もちろん九州にプロ球団を復活させたダイエーの判断は大正解だったが、それもライオンズが関東に来なければ必要なかったはずである。

1985年ごろを舞台にした『大甲子園』では日ハムの土井垣が後楽園球場の食堂で明訓×青田の試合を観戦しており、当時は日ハムも巨人のホーム球場を「借りていた」のである。

その後、日ハムが北海道に移り、近鉄がオリックスに吸収され東北楽天が生まれるまでの間、プロ野球のホームは北九州~瀬戸内~阪神~中共~京浜の工業地帯、メガロポリスに集中していたわけだ。
小学校か中学校の社会科の授業で北九州~阪神~中共~京浜の「四大工業地帯」を教わった記憶があり、北九州と阪神の間で瀬戸内工業地帯もあるので「五大~」でもあるという話だったように思う。

神宮球場は大学野球の会場であるとともにヤクルトの球場でもあり、横浜球場は高校野球の神奈川大会決勝の場(『大甲子園』で明訓と白新も横浜球場で闘った)でもある。
横浜高校出身の選手が大学、社会人になって横浜ベイスターズに入団。2011年のシーズンは球団にとっても正念場であろう。


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2010年11/1