のび太がドラえもんと出会ったのが正月なので、2005年にのび太が小学1年のときにドラえもんが来訪したと假定すると、のび太は1997年8月7日生まれで、2005年の正月は小学1年の冬休みだった。
こののび太は2010年4月から中学生である。このことから、2010年4月の段階ですでにのび太は2005年当時から完全に「世代交代」しているわけだ。

1980年から1910年まで30年。これを小学生の6年間で割ると、1980年で第1世代が1年生になったとして、2010年で第5世代が中学生になったことになる。
└→野比のび太年齢変遷(1961年生まれから6年間隔)

1981年で第1世代が小1になったとすると、第5世代は2010年度で小6である。
└→野比のび太年齢変遷(1962年生まれから6年間隔)

のび太は正月にドラえもんと事実上の初対面を果たし、これが小学生のときとすると、最も「若い」ときでも小学1年の冬休み、入学から8箇月経過したときである。小学6年の3学期までは5年と3箇月。
したがってのび太がドラえもんと同居を始めたときに小学1年生だったとしても5年半たてば中学1年であり、それでも小学生であるのび太は生まれた年に関しては「別人」になっているわけだ。
原作が始まった1970年1月において小学1年生だった読者は1975年3月、「ツチノコ見つけた!」を読んだ時期に小学校を卒業した。
小学生は6年ごとに交代するが、『ドラえもん』ののび太は小学1年から6年まですべての学年をカバーすると假定しても最低5年ごとに交代しているわけだ。アニメののび太は毎年度小学5年生なので、毎年4月に先代のび太が1歳年下の新のび太とバトンタッチしているわけだ。

まず1973年の日テレ版放送からの6年と2004年の『ワンニャン時空伝』からの6年を比較対照。
1973年 2004年 0年 1973年日テレ版放送。2004年『ワンニャン時空伝』公開
1974年 2005年 1年 1974年てんコミ初刊。2005年声優交代
1975年 2006年 2年 1975年「のび太の恐竜」初掲載。2006年『のび太の恐竜2006』
1976年 2007年 3年 
1977年 2008年 4年 1977年『コロコロコミック』創刊。2008年『緑の巨人伝』
1978年 2009年 5年 1978年テレ朝パイロット版完成。2009年テレ朝アニメ30周年
1979年 2010年 6年 1979年テレ朝版放送開始。2010年映画30周年

次に1973年の日テレ版放送からの6年と2005年の声優交代を比較対照。
1973年 2005年 0年 1973年日テレ版放送。2005年声優交代
1974年 2006年 1年 1974年てんコミ初刊。2006年『のび太の恐竜2006』
1975年 2007年 2年 1975年「のび太の恐竜」発掲載。2007年『新魔界大冒険』
1976年 2008年 3年 
1977年 2009年 4年 1977年『コロコロ』創刊。2009年『新・宇宙開拓史』
1978年 2010年 5年 1978年テレ朝パイロット版完成。2010年『人魚大海戦』
1979年 2011年 6年 1979年テレ朝版放送開始。2011年『新・鉄人兵団』

『人魚大海戦』パンフレットによると温水洋一は1964年生まれで、1974年当時「帰ってきたドラえもん」を雑誌で観たらしい。当時小3~小4であろう。その後アニメを妹と観たと語っており、1979年では15歳だから洋一氏はテレ朝のアニメ開始当時、中学3年生だったと思われる。

三原順子と谷亮子を比較すると、三原順子は1964年生まれなのでてんコミ2「ぼくの生まれた日」ののび太と同い年。谷亮子(田村亮子)は1975年生まれであるから2010年で35歳、のび太の父・のび助が36歳から38歳、玉子が32歳から38歳の設定なので、谷亮子は2010年前後のアニメにおけるのび太の親世代である。谷亮子が10歳だったのは1985年の誕生日から1年間なので、その時期の原作ののび太と同世代でもある。

小林よしのり(1953年8月31日~)は『オバQ』をよく観たが『ドラえもん』については世代的な理由で余り観ていないらしい(『挑戦的平和論・下巻』)。
1953年生まれだと三田村邦彦と同い年だが、『オバQ』の始まった1964年で11歳、『ドラえもん』の原作が始まった1969年12月で16歳だったはずなので児童漫画は観なくなっていただろう。
アルフィーの高見沢は1954年生まれで藤村甲子園と同い年であり、コロコロ文庫『ドラえもん[恐竜編]』にコメントを書いており、アルフィーとして2003年にエンディング「タンポポの詩」を担当している。

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2010年10/16 10/16前後