第42部では光圀一行に格之進が参加するところから始まっており、第42部の描写だけを観ると、格之進の参加の前は、光圀の從者は弥七、八兵衛(演:2代目林家三平)、助三郎、疾風のお娟(はやてのおえん)だったようである。

実際は第1部から第41部まで格之進が光圀のグループに入っていたので、今回は今までの全てのシリーズを「なかったこと」にした大胆な設定変更である。

第41部で助三郎が美加と結婚しており、その設定は第42部では継承されていない。

もし、第41部でお娟の結婚も描かれて、第42部からお娟が出なければ、第42部で完全に設定がリセットされたことになるが、スタッフがお娟の縁談による「引退」を第42部で描いたことで、第42部は第41部の延長なのか、無関係な焼き直しなのか、わかりづらくなっている。

第42部では光圀にとって孫に当たる高松藩の若君・松平頼豊が12歳であることから1691年ごろの話と思われる。一方で光圀の正室没後40年とあるから、正室が1658年没とすると40年後は1698年の可能性が出てくる。

疾風のお娟が光圀に仕えていたのはドラマで描かれた江戸時代の歴史の中では少なくとも8年に及ぶ。

1690年に光圀が隠居した過程が第29部で描かれ、お娟はこのときから登場。
第29部では光圀による藤井紋太夫刺殺事件が描かれているので1694年まで及んでいる。

比較的現代に近いのは第37部で、やはり光圀にとって孫(正確には甥・綱條の息子)である吉孚(よしざね、よしのぶ)が14歳だったことから1698年と思われる。この第37部でもお娟が登場していた。

第38部は元禄丁丑の年で1697年。これ以外で元禄年間における丑年は綱吉没年に当たる1709年であり、光圀没後9年。2009年も丑年で、1709年とは300年(12年の25倍)の開きがあった。

第40部になると松尾芭蕉が登場するので1694年以前であり、しかも庄内藩前藩主の法要の時期だったので1681年に没した酒井忠義の13回忌とすれば1693年ごろの可能性がある。
光圀の姪・密姫は酒井忠真の正室で、第40部では嫁いで6年であり、密姫は前藩主の法要のために鶴岡にお国入りして、そこで光圀と出会った。

したがってお娟がいた時代は、1690年から1694年まで(第29部)、1691年(第42部)、1693年か1694年(第40部)、1697年(第38部)、1698年(第37部)に及ぶ。
光圀が隠居してから8年間、お娟が仕えていたわけだ。
それでいて第42部の時代設定が1691年であるとすると、隠居時代の光圀に8年仕えたはずのお娟が、その初めの1年か2年足らずで引退していたというのは明らかに矛盾である。

第42部でお娟が「引退」したとすると、第37部や第38部のお娟は、またお供に復帰した姿か、まったく別人ということになる。
『水戸黄門』で由美かおるが演じた女忍者には第16部から第28部までの「かげろうお銀」のほか、第29部から第41部からの「お娟1号」と第42部の「お娟2号」の計3人がいるという結論になる。

あるいは第42部で光圀の正室没後40年ということから時代設定を1698年とすることも可能であるが、そうなると格之進は1690年の光圀隠居から8年後にやっと光圀に仕え、その2年後に光圀が没したことになる。

1690年 光圀隠居。家来は助、格、お娟+せん、みつ、ひで(第29部)
1691年 格之進が光圀一行に加わり、お娟が結婚して脱退(第42部←頼豊12歳基準)
1693年┬お供は助、格、弥七、八、お娟(第40部)
1694年┘松尾芭蕉没(第40部に登場)
1697年 助、格、弥七、新助、お娟が同行(第38部)
1698年 助、格、鬼若、アキ、弥七、新助、お娟が同行(第37部)
1698年 格之進が加わり、お娟が結婚して脱退(第42部←光圀正室没後40年基準)
1700年 水戸光圀没

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2010年10/17 10/17前後