『新巨人の星』の原作は1979年に終了し、アニメの『新巨人の星II』も1979年に放送。
『ドカベン』では明訓高校が弁慶高校に敗れたのが1979年の作品で、アニメも1979年に終了。
『ドカベン』では明訓高校が弁慶高校に敗れたのが1979年の作品で、アニメも1979年に終了。
土井垣は大沢監督のいた日本ハムに入団。野村克也は西武に移ったあとだった。
実社会では山田高1夏の甲子園から5年が経過したが、劇中では1年半しかたっていない。
実社会では山田高1夏の甲子園から5年が経過したが、劇中では1年半しかたっていない。
『巨人のサムライ炎』では1979年のシーズンで始まり、江川の投球練習に水木炎が乱入。
星飛雄馬は二軍コーチとなって水木に対し入団テストをおこなった。
星飛雄馬は二軍コーチとなって水木に対し入団テストをおこなった。
『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年生まれなので1979年で3歳であった。
明訓が弁慶高校に敗れた夏の甲子園では、神奈川代表の明訓高校が初戦でブルートレイン学園と対戦していた。BT学園は東京代表なので、関東勢同士。
1978年から2006年ごろまでは初戦で東日本と西日本の東西対決になる決まりだったようで、すると明訓×BTの試合は1977年以前か。
1978年から2006年ごろまでは初戦で東日本と西日本の東西対決になる決まりだったようで、すると明訓×BTの試合は1977年以前か。
そうなると山田高1を1974年度、高2を1975年度、高3を1976年度として、山田が1977年3月に卒業したという假定に合致する。
しかしそうなると『ドカベン』で描かれた山田高2夏のプロ球団の状況と合わない。
『プロ野球編』では山田高2は1993年度であるから、南海はダイエーであり、劇中の描写とはまるで違ってくる。
ただ、1993年当時も日本ハムの監督は大沢親分だった。
しかしそうなると『ドカベン』で描かれた山田高2夏のプロ球団の状況と合わない。
『プロ野球編』では山田高2は1993年度であるから、南海はダイエーであり、劇中の描写とはまるで違ってくる。
ただ、1993年当時も日本ハムの監督は大沢親分だった。