1959年度生まれ
1969年『小四』12月号「新連載の予告」
└→『ウメ星デンカ』に続く作品。タイトルも主人公の名も決まらず、机から出た何物かに驚くのび太が描かれた。

1970年『小四』01月号「未来の国からはるばると」
└→『大全集』でのび太は1959年8月7日生まれであり、18年後の1978年に大学を受ける予定で、これはてんコミ第1巻で19年後の79年受験に置き換えられた。これでのび太は1960年8月7日生まれに変更されたことになる。
一方、1960年生まれののび太を主人公にした70年『小三』1月号ではのび太は19年後に大学を受験する予定で、こののび太が1970年4月から小4になった。

1970年『小四』02月号「ドラえもんの大予言」
1970年『小四』03月号「けんかマシン」
└→1959年度生まれの読者はこれで『ドラえもん』から卒業。この学年の読者は1972年3月に小学校を卒業した。

1960年度生まれ
1970年『小三』1月号「机からとび出したドラえもん」
└→9年後(推定1979年)大学受験で落第、15年後失業(1985年)、20年後(1990年)宝くじに当たって小さい会社の社長になるが、その1年後(1991年)につぶれ、そのときの借金が100年後(2091年?)も返済できない。
登場人物紹介ではのび太が主人公、ドラえもんは「みらいの国からきたできそこないのロボット」で、静香(しずか)の名前は「しず子」、「スネ夫」も初めの2文字がひらがなで「すね夫」と書かれ、設定が固まっていなかったことがわかる。

1970年『小三』2月号「愛妻ジャイ子!?」
└→20年後(推定1990年)にはジャイ子に追いかけられて、35年後(2005年)には赤ん坊を背負って家出を試みるも失敗。セワシが東京から大阪への旅の比喩を使った話は「机から~」では登場せず、この「愛妻ジャイ子!?」で登場。

1970年『小三』3月号「のび太が強くなる」
└→朝、のび太が宿題を忘れたことに気づいて登校拒否。ドラえもんが「こんどだけたすけてあげる」と断って「でん子ずのうつき自動ボールペン」を出し、算数の宿題を完成させた。「コンピューターペンシル」がここでも出ていたことになる。

1970年『小四』5月号「㊙スパイ大作戦」
1970年『小四』6月号「白ゆりのような女の子」
└→1945年6月10日、のび助が疎開中にのび太からチョコレートをもらった。『はだしのゲン』によると疎開は小3からだったらしいので、早生まれで8歳からとしてものび助は1937年までに生まれたことになる。西暦2010年の時点では73歳。藤子・F・不二雄は4歳上の1933年生まれだった。

1970年『小四』9月号「ああ、好き、好き、好き!」
└→太めの少女・ボタ子登場。

1970年『小四』10月号「ペコペコバッタ」
└→ベトナム戦争、光化学スモッグ、物価の値上がりが問題だった。

1970年『小四』11月号「わすれとんかち」
1970年『小四』12月号「タイムふろしき」
└→野比家のテレビは白黒で、玉子はこれを叩いて直した。昭和の家電はこうだったようだ。

1971年『小四』1月号「のび左エ門の秘宝」
└→文政9年(1826年)元日にのび左エ門が巻物を残した。6代前の先祖。1826年と1971年は145年差で6代前だと1代24年強。29年で1代だと145年で5代である。

1971年『小四』2月号「好きでたまらニャい」
1971年『小四』3月号「ドラえもん未来へ帰る」
└→1960年度生まれの読者はこれで『ドラえもん』から卒業。時間旅行規制法によってドラえもんが未来へ帰った。1960年度生まれの読者が小学校を卒業したのは1973年3月。『ドラえもん』の連載が『小五』『小六』でも始まったのは1973年4月号からだったようで、完全に入れ替わりである。

1961年度生まれ
1970年『小二』1月号「未来から来たドラえもん」
└→ドラえもんが耳をつけて四つん這いになると玉子とのび助が「ばけねこ」と言って失神。このとき、玉子はペットを飼うことに寛大だった。
この下の学年は1970年『小一』1月号「ドラえもん登場!」。

1970年『小三』5月号「恐竜ハンター」
└→恐竜狩りが合法だったときの話であろう。「のび太の恐竜」が1975年に『少年サンデー』に掲載されたときは恐竜ハンターは登場せず、1980年の映画で恐竜狩りが違法とされた。しかし時間流行規制法も含めて、未来の世界と20世紀で時間が同時進行しているような妙な話である。

1970年『小三』6月号「ご先祖さまがんばれ」
1970年『小三』7月号「古道具競争」
└→野比家のラジオがここでは1970年製だったが、てんコミ第1巻で1974年製になっている。野比家の家は一度、竪穴式住居に交換されたが、もとに戻されたとき、のび左エ門の巻物や「ママのダイヤを盗み出せ」でのび太が観た玉子のアルバムも戻されたか。

1971年『小三』1月号「手足七本目が三つ」
└→てんコミで「ねこの手もかりたい」に改題。

1971年『小四』9月号「ロボ子が愛してる」
1971年『小四』11月号「プロポーズ作戦」
└→のび助と玉子は昭和34年(1959年)11月3日に婚約、結婚した。のび太誕生は1961年8月7日。

1972年『小四』2月号「のび太のおよめさん」
1972年『小四』3月号「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」
└→日テレ版の最終回のもとになった。ドラえもんが「自分がいることは却ってのび太にとってよくない」と判断。ドラえもんが未来の世界に戻ったあと、のび太が自轉車に乗れるようになった。アニメではガチャ子がジャイアン、スネ夫、静香たちを集めてドラえもんと互いにあいさつさせた。

1972年の春の1学期から1973年の3学期まで『ドラえもん』空白期間。

1973年『小五』3月号「再開の予告」
1973年『小六』4月号「石ころぼうし」
└→1973年4月号から掲載誌が『小五』『小六』まで擴大、この学年は1972年3月で一度、『ドラえもん』と離れながら、1年後に再会、1年後に小学校を卒業という稀有な経験をした。

1973年『小六』7月号「ママのダイヤを盗み出せ」
└→玉子は昭和23年(1948年)7月10日に指輪を紛失、実は玉子の母がのび太に譲っていた。

1973年『小六』11月号「未来からの買いもの」
└→「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」から1年8箇月経っても、のび太(原作)は相変わらず自轉車に乗れない。ドラえもんが見ていたのは2087年のカタログ。

1973年『小六』11月号「一生に一度は百店を…」
└→「コンピューターペンシル」再登場。前の「でん子ずのうつき~」が出たのは1970年3月号『小三』の「のび太が強くなる」で、これを観た学年は1973年3月に小学校を卒業しており、73年11月当時は中学1年の2学期だった。

1974年『小六』1月号「いやなお客の帰し方」
└→会社社長が部下の息子(小学生)に煙草を買いに行かせた話。今では未成年者は煙草を買えないので、のび太がこんなことをさせられる可能性はなくなった。

1974年『小六』3月号「ユメコーダー」
└→1961年度生まれが雑誌で読んだ最後の『ドラえもん』であった。


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2010年10月 10/10